orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

理不尽に絡まられたことと、倍返しの話

 

社会人生活をやっていて、いろいろ、理不尽に絡まれたことがある。何かのきっかけで、社内で幅を利かせるようになると「何を大きい顔してるんだ」みたいな圧力を実際に受けたことがある。人間なんて醜いもので、どんなに大人になったって狭い社会の中で目立つと、気に入らない誰かが潰しに来る。動機は幼稚でも、誰かから敵意を向けられるのは正直、面白くない。

私はそういう人たちと正面からやりあうことはない。だけど一生覚えてる。執念深い。根に持つ。とりあえずもう会社の中では極力関わらないようにして、自分の仕事の範囲に近づけないようにする。変な話、そういう人たちは、潰しに来たことそのものを記憶喪失したように、再度親し気に近づいてこようとすることがある。あの時は気の迷いで、仲良くしような、と。

そんなときに、根に持った態度を表に出して、あの時なんだったんすか、とは言わない。はい、よろしくお願いします、とニコニコしながら、最低限の話をして遠ざかる。あんたね、あの時のあの態度覚えてるからね。謝罪も何も無く、フォーマットしたディスクのようにまっさらなんかになるか。一度切り見せた、あの時の粗相を後悔してももう遅い。あなたとはWIN-WINにはなれないので、決してお付き合いしません。

目立つから潰しに行くようなことを考える人物は、たいてい自身の仕事でもどこかで大きな失敗をするか、小さな失敗を繰り返すかのどちらかだ。放っておいても自滅する。私の観測範囲で言えば、私に恨みを持たれている人たちは、5年単位、10年単位で何かしらの挫折を味わっている。私が直接手を下すことはないが、私に恨みを持たれる人は、誰かにも恨みを持たれるというのが世の常、である。私がどうこうせずとも、勝手に潰れていく。

一方で、この潰しに来る小さい者たちが自分に近づかないためにはどうすればいいか、を今に至るまでの長い時間考えていた。結論としては「数字」だ。意味を分解すれば、「売上と利益」。これらを会社に、私が直接関与して、どれくらい納めたかが私の会社における自分の「パワー」となる。

このパワーが低かったのに、会社内で幅を利かせてしまったので、気に入らないという思いを何名かに抱かせたのだろう。パワーが貯まるまでは大人しくしようと、私はそれから数年は我慢した。それからはどんな理不尽なことがあっても受け流すとともに、社内で決して目立たず、自組織の売上と利益を最大化することを最優先に考えた。この戦いについては私の適性があったので、順調に毎年成長を積み重ねることができ、ついに目立つ数字にまで育て上げることができた。

さて、パワーが年々充填されてきたときに周りを見てわかったことがある。私に手出しする人が本当にいなくなった。私に近づいて取り込んで来ようとする人もいないし、叩いて来ようという人もいない。触ったら火傷するよ、というパワーを持つことができた。もう、人間関係の面倒なトラブルは御免なのでこちらも近づかない。また会社で別の誰が目立っても全然いいけど、その目立った人すら無視できないパワーを得ると、その人すらも近づいてこない。

会社に、ある程度目に見える数字(売上+利益)を持ってくると、皆、いい意味で私を要注意人物扱いしてくれる。私がある日、やーめた、となったときに、それを誘発した人物は大罪人扱いされるだろう。パワーがある人には、よほどパワーがある人じゃないと社内で近づけなくなるのだ。

これは私が数年、どうせ何があったって数字が自分を守ってくれるという仮説を説明できるロジックだ。偉い人にプライベートで擦り寄ったって、社内で人気者であったって、そんなもの、自分を守る力にはなりはしない。ただただ数字を会社に捧げる。ほかの要素は全部「おまけ」である。

この「数字」の要素をゲーム化し、かつ手段を問わず数字を追求することを勝利条件にした結果、某企業のようにモラルハザードが起き、企業経営自体が揺らぐ結果となっている。そう、パワーはパワーであり、正しい方法で使わなければ、自分自身を傷つけてしまう。

私は自分を守るために、パワーを追求した。パワーさえあれば、それを保つためのいろんな助力が会社から集まってくる。だって、会社はその設立理由からパワー(売上+利益)を欲しているのだから、その獲得のためにいろんな支援を(私に)するのは当たり前、だから。

皆様も色んな会社で社会人生活をして理不尽な思いをするとは思うが、パワーが全て、というシンプルな話を覚えておいて欲しい。いろんなことが説明できるはずである。