orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

評価は、成果にではなく立場に対して行うべきだ

 

もう徐々にわかってきた。会社で仕事をするに当たって、社員にしろパートナーにしろ、人間が集まって仕事をする以上は、人間の気持ちが最も重要だ。気持ちよく働くことができれば成果は上がる。誰でも明るい職場に行きたい。自分を受け入れてもらいたい。お金さえもらえればいいなんて言ってる人は強がりで、もらえるんだったら、気持ちいい場所にいたいだろう。

自分という生き物を長く置く場所が職場になるのだから、職場は自分にとって居やすい場所でありたい。

ところがこの前提を大きく乱す変数が「評価」である。

職場の雰囲気を悪くする方法なんて、結構簡単。人々に納得のいかない人事評価を行うと、すごく悪くなる。

どういう形が納得を損なうか。それは、「成果による評価」だ。

成果って、どれだけがんばったか、みたいな言葉に翻訳される。がんばりって数値化するのって難しくないか。そこで、上司の主観が入りまくって、この人はがんばった、がんばってない、とかやるともうダメ。上司の知らないところでがんばっている人なんてもはや絶望に向かってまっしぐら。

それなら、ということで上司のいる飲み会で上司に擦り寄って、上司と仲よくしようとするメンバーが評価が高かったりすると、途端にメンバーがバカバカしくなる。でもそういう事例多いよね。

結局成果とは、個人主義につながる。個人主義とは仲間と協力しないこと。周りの同僚も競争相手と捉える世界だ。そうなるとどうなるか。本来の会社はみんなで長所を寄せ集めて、短所をかばいあって、生産性を最も高める器だ。ところが、皆が争い合うので単なる隣人となる。生産性の低い仕事はみんなが敬遠しだれもやらず、職場で発言力の弱い人に押し込められる。その結果、互いを陥れるようなことばかりし出し、全体としての職場の生産性は上がらない。そういう上司に限って「仲良くやれよ」と言う。いや、こじれる原因は評価制度にあるから、上司もしくはその上の会社が悪い、というカラクリになる。

いい評価の方法がある。「立場」とする方法だ。リーダーはおいくら、マネージャーはおいくら。もうそれだけで、あとは経験に応じてプラスすればいい。

その立場にアサインするためには、それ相応の能力と支持がなければいけない。同僚もわかりやすい。その立場は仕事の上では誰かがやらねばならず、彼なら彼女なら十分だ、と。どれだけがんばったかは将来の次の立場へと影響するのみ。もっと成果を出せるようなら次も見えよう。

後はこの条件で、全員が助け合い、全員で結果を出そうという文化を醸成することだ。個人の長所を組み合わせ、それぞれが活躍できるようにすること。競争ではなく助け合いをすることが有利になるような采配をしないといけない。

だから、優れたマネージャーは個人の管理をするより、役割の整理に時間を使う。どの役割がどれほどビジネスに貢献していて、誰が担当するとよりよいか。マネジメントは個人が仕事をしているかどうかを監督することではない。役割を研究して組み合わせを含めて検討し、個々が活躍するとともに、助け合うと更によりよくなる、そんなフォーメーションを突き詰めることこそ重要な職務だ。

日々仕事をまわしていくなかで、ビジネス状況も変わるので、役割も常に流動的に最新にしていく必要もある。1年前の仕事の仕方では今通用しない仕事が、今日生まれるかもしれない。硬直的な組織だと、たいていは誰かにしわ寄せが行き、ストレスを抱える。評価と役割を連動させること。重要な視点である。