orangeitems’s diary

クラウド専任の40代インフラエンジニアが書くブログ。新規事業マネージャー。20世紀末の就職氷河期スタート時にIT業界に文系未経験で入りこみそのまま生き残った人。1日2記事投稿しています(0:00、12:00)。

「深い話ができることが、仲のいいことじゃない」という価値観の持ちよう

 

これはもはや人生を通じての達観的価値観なんだけれど、若い頃は、誰かと仲がいい状態というのは、深い話ができることだと思っていた。プライベートなこと、悩んでいること、他人には話せないようなことを離せることが信頼の証のように感じていた。いろんな創作物でもそういった表現はあるよね。

ところが、最近はそうじゃない、と感じるようになった。深い話なんて長い人生を送ると言えない事がどんどん増えて行かないか。知られてしまうリスクもあるし、誤解を与えた時の対応も大変だし、正直言って言わない方がいいことはたくさんある。そんなことを晒すことが仲のいい関係って、それはファンタジーだと思う。

実際のところ、そこまで深い話題なんていらなくて、ただただ、常識的に理性的に情報交換を重ねることだけでも十分なのではないかと思っている。一定の時間を過ごすにあたって、相手に対して不快感を与えないこと。誠実に聴く態度を持っていること。コミュニケーションに当たって受容的な態度を取ること。その上でそこで聴いた話については周りにいいふらさないこと。つまり、拒否的ではなく、かつ誠実であることを相手に、定期的に示し続ければ、信頼感は高まっていくのではないか。

いやいや、相手が何を考えているかなんて、深い話をしないと信用できないでしょう・・と思う人も多数いらっしゃると思う。私に言わせれば、信用できるかどうかわからない相手に深い話をするのが、最も怖い。そんなことをしなくたって仲が良くなるほうほうがあればそれでいいと思うし、相手も「深い話せいや・・」という圧をもらうのはかなり勇気がいるはずである。そのために仲が良くなれないことの方が多いのではないかとも思っている。

社会にはたくさんの人がいて、正直信用ならない人の方が多い。その中で仲のいい人を増やすためには、時間はかける必要があると思う。深い話はなくとも、たくさんの時間を重ねてごらん。きっと馬脚を現す。受け入れづらい行動や発言が見えてくる。そこが真実だと思う。それが現れた時に、自分の機微な情報などを知られていると、そっと縁を切るなんてできないのである。

こういった考え方をする前は、なかなか深い話できる相手も機会も少なく、孤独感を感じるときもあったような気がするが最近はもう価値観が180度変わった。機会あればたくさんの人と関わり、そして深い話はしない。しかし、誠実に対応する。相手の話をよく聴く。相手も同様かどうかをじっと見極める。そしてすぐには結論を出さない。そうやって仲がいい、を形成していくものだとすると、いつでもどこでもチャンスはありそうである。

きっと、こういう発見をするに至ったのも、自分がベタベタの田舎育ちだからなのかもな、なんて思う。町中の人の名前と顔が一致していて、どこの誰が何をしたか噂ですぐに共有されてしまうような場所だった。でも、そんなムラ社会にはもう私は生きてはいない。アップデートしなきゃね、というのが今頃になって思ったのであった。