orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

ほんの少し前の過酷な現場

 

IT業界は、力仕事もないし残業もほどほどだし、全部パソコンで済むしリモートからも働けるし、デジタルブームの力も借りて人気の場所になっているらしい。

しかし15年前くらいまではほんとひどい場所で、物好き以外は誰も寄り付かなかったのにね。コンピューター好きが集まって、生産性の低い仕事を残業上等、休日出勤上等でやってた。そもそもいろんなことが予定通り進まない。あの頃、予定をちゃんと立てられていたのかも謎である。予定自体が未熟で、タスクの完了について定義があいまいなことも多かった。ITにおいて管理する、ということの重要性に気づいたのがあの頃だった。ちゃんと管理してないから炎上するんだな、って。故にプロジェクトマネージャー、という存在が脚光を浴びた。今現在ではコンサルが脚光を浴びてるけど、その頃は、チームでちゃんと実装すること自体の難易度が高かった。各自がばらばらにやって進捗会議。で、意思統一できていないものだから、成果物を結合するとぐっちゃぐちゃにエラーが出るというのが当時のあるあるだ。

私がインフラエンジニアということもあり、インフラ観点から話をすると、当時のサーバーはまだ仮想化が走りでまだ物理サーバーに直接OSを載せていた。だから、物理サーバーの数もデータセンターの中で膨張していて機械の数が今と比較できないほど多かった。その上に、熱である。今に比べて圧倒的に熱を発していたのでデータセンタ−のサーバールームはいつも暑かった。気温が高いと何が起こるかというと、機器故障である。CPUもメモリーも、そしてマザーボードやRAIDカード、電源ユニットなどあらゆるところが故障しやすかった。

仮想化もなくハードウェアが故障しやすいということは、システムトラブルに延々と追われ続けることになる。仮想化していれば他の健康な物理サーバーに移るということもできるが、当時はそうも行かなかった。このサーバーは重要じゃない、とか言って冗長化されていなかった場所がダウンし、それでシステム全体のトラブルが起きるなんてことがよく起こった。

ディスクも当時は3.5インチのハードディスクが全盛で重くて、サーバーを運ぶのも大変だったし、しかも熱で壊れやすい点も災難だった(振動にも弱かったね)。毎日のようにディスクランプがオレンジに代わり、保守ベンダーを呼んで交換までが日課となった。おかげでハードウェアベンダーの保守員さんと雑談までできるようになるぐらい仲良くなってしまうことも起きた。データセンターの入館許可書類にはBy Nameで名前が入ってるテンプレートがあったくらいだ。

今は、クラウドがあって、そういったハードウェア周りは抽象化され、利用者が気づかない間に対応してくれる。しかも熱が出ない工夫であったりエアフローが工夫されて排熱がスムーズだったり、ハードディスクからSSDに変わったり、仮想化が進んで物理的なサーバー台数が減ったり。そして仮想化全盛で様々な冗長技術が発達したりと、本当にトラブルが起きにくい、いい時代になった。

別にあの頃の人たちが劣っていたわけじゃない。きっちりやろうとしても、いろんな想定外が同時に襲ってきたんだ。そしたら、きっちりやりたい人も思考力がまわらない。地面からニョキニョキ想定外が出てくるもんだからそれを抑え込むだけでせいいっぱいの時代だった。

システム開発の分野は専門外なので詳しくは知らないけど、あまりバグを産まないような仕組みの技術革新も進んだようだ。

上述のプロジェクトマネジメントも、SaaSなどで補われ、コミュニケーションミスが起きにくくなっている。またプロジェクトマネージャー自体が1つの職業として成立した。

色んなことが急に解決して、そして今、とても平穏な業界が誕生した。だが、これはたかだか15年に起こったことである。あの頃の苦労は忘れてはいけない。ちょっと油断しようものなら、あの状況に陥るのだ。この平和が1日も長く続くように務めていきたい。