orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

悪い意味で怪物のような部下がいたらどうするべきか

 

過去を思い返していた。この文を読んで。

 

anond.hatelabo.jp

 

読んでみて「こんな人いないよ」と思える人は、きっと今まで恵まれた生活をしていたんだと思う。私にも何人かの猛者が目の前にいたことがある。

同じような経験をしたことを思い返す。その際は、結果(私ではなかったが)指導役の人間はパワハラ疑惑をかけられた。かけられた本人は大いに傷ついたな。

新人なり未経験の中途なり、観測するに一人二人じゃない。何人もいると思う。「仕事ができない」じゃない。仕事ができないことで周りを巻き込み、周りの仕事の意欲や能率を大いに下げてしまう存在。

想像だが、なぜか自己肯定感が異常に高い。自分はできると思っている。自己評価と実際にやっていることの結果のギャップがものすごくあるのに、それを認めようとしない。かつ、環境、つまり自分以外のせいにする。

自分はもっとできるはずなのに、できないのは、外部に問題がある。それは指導方法、カリキュラム、任せられた仕事。絶対に自分に向き先が行かないようになっている。なっているとしか言いようがない。

「それは、あなた自身に問題があるのだよ」と指導役は皆言いたくなる。

そして、なぜか「はい、私に問題があります。なぜなら・・」と素晴らしい自己分析をし出すのである。ほう、そこまでわかっているのなら、いずれできるようになるよね、ということで一旦の説教タイムは終わる。

ところが、その説教タイムを忘れたように、同じ失敗をさらに繰り返す。ということは、きっと、色んな自分への攻撃は誤解であって、取り繕えば無かったことになると思っているに違いないのだ。彼は。

自分への攻撃は、社会生活上払い落さなければいけない不当なものであり、それを交わすことができる自分って素晴らしい、という思考なのだろう。

指導者の心は大いに折れる。誠心誠意、実力を向上させようと思った指導が、全て彼に受け入れられない。うなづいているのではなく、聞き流しているだけ。肯定も否定も全部無に帰る。

いつまでもいつまでも、彼は自分が信じた道を進み、そしてうまく行かないことは自分に起因しない。むしろうまくいかないのはうまく行かない指導をしている指導役が悪いのだから、指導役がフォローするのが筋だろう。そんな他責思考、社会で生きていけるわけがないと思わないか。

生きていけないのである。

 

私は、仮説を持っている。こういう方達は存在し、かつ「修正はできない」。

日本の専門的な教育を受けて、そして社会人になっているにもかかわらず、そういった思考システムが心の中にあるとして、誰がそれを変えられようか。

きっと、自己肯定感の高さや、自分を守ると決めた時のそのまくしたてる論理の組み方を見て、面接を突破してくることもあるんだろう。著者の言う通りである。

しかし、私は、まっぴらごめんである。

傾向はわかったので、私は徹底している。こういったタイプの人が私に近づいてきた場合、距離を取る。指導役なんてとんでもない。私は年齢が離れすぎているので、指導役にはちょっと不適ですよ、もっと経験が浅くて年齢が近い人が教えないと、質問も怖くてできないでしょう。なんて、適当なことを言って遠ざけるようにした。

その上で、誰かに指導役をやってもらい、ダメなら会社に「ダメデス、指導役の○○さんが手を挙げました」なんて自分が判断したわけじゃないことを前面に出すようにしている。

まあそれが卑怯だなんだと言われても、このようなタイプに巻き込まれることそのものが致命的なイベントとなる。

自分は部下教育に自信がある、なんて思っている人、気を付けた方がいいよ。世の中にはえらい人物が潜んでいるんだから。