orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

苦手な役回りを自覚すること

 

どんな役回りでも、経験すればそれなりにこなせるだろう、という思いが若いうちはあったが今ではとんでも無かったな、と思う。

大学でサークルに入っていて、幹部の学年になったときに別サークルとの連絡役みたいな役割になったことがあった。自分のサークル以外のメンバー以外との交流が役割であり、社交性の高い人にはうってつけなんだと思う。それがなぜか私になってしまった。

まあ何となくできるだろう、と思っていたが残念ながら全然馴染めなくて、残念な思い出しかない。きっと今同じ役回りをやっても同様だろう。その記憶からか、私は営業部門的なポジションについてはきっと向かないと思っているがそれはきっと正しい。

若いうちに、不適であることも色々やっておいて、大人になってから不意にそんな苦手なことをやらせられないように備えると言うのはそれなりに大事だなと思う。あまりにもパフォーマンスを発揮できないからだ。そうなると自己肯定感がまるっきり落ちる。自分が自分でいい、という自我の基盤にある感覚が失われる。負の循環である。自己肯定感の低さが更に自分の行動を縛っていく。何をやってもダメだろうという思いに囚われる。口数が少なくなったり言動が過激になっていく。たまに、なぜあの人はあんなにネガティブなのか、やる気がないのか。モチベーションが低いのか、と言う人を見かけたらそんな状況なのかもしれない。

自分の性質を把握しておいて、役割決めの時に、ダメなものはダメと断る勇気も必要となる。何でもできます、All yes、の態度は人から好かれるためには大事だが、だからと言って何の戦略も無く引き受けていたら、いつか暗黒面に落ちる。

私のプロセスは上記のようなものであったが、これが逆に、営業部門的な役割じゃないと自分が活きないという人もいらっしゃるだろう。そう、これは適材適所であり、人によって大きく適正は異なる。ほとんどの人が小中高と同じような教育プロセスを受けるのに人それぞれ大きく違いが出るのだから、持って生まれた性質というのは面白い。

自分の中に苦手な役回りがあるとして、回避しまくるとして、その役割はどうするのか。これは、その苦手な役回りをやってくれる人、自分の真裏の人を大事にするのがいい。絶対にいる。自分が苦手なことを得意にしている人。相性が悪いのかというと違っていて、見事に補完関係を形成することができる。この感覚はどちらかというと40代過ぎて、自分自身の得意を強く自覚するようになって思った。苦手な部分はいくら研ぎ澄ましても普通の人の水準すら行かないから、もう全部捨てて、得意とする人にお願いしたほうが相当に効率がいい。また頼られた人もうれしいのである。あなたは私の苦手な部分が大変得意なのでやっていただけませんか?。その代わり私は、こんな部分が得意なのでそれを一生懸命やります。と言った具合である。

上下関係ではなく、補完関係。たいてい、自分の苦手が得意な人は、自分の得意が苦手だったりもする。

普段から自分の得意に特化して活かすことを書いているが、この逆の側面。苦手をひたすら避けるということ。避けるや逃げるはなんともネガティブであるが、強くお勧めしたい。悩んでいることの大部分がそれで解決される人もいよう。できないことは放り出していいのである。無理にやるから、苦労と失敗だけが増えて行くのだ。