orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

褒める教育の大きな勘違い

 

40代後半の私は、褒める教育なんて受けていない。指導者が褒めるなんてほぼ無くて、叱って怒って子供は伸びるみたいなことが当たり前だった時代を知っている。

ここ最近、でもないか。2000年に入ってから、褒める教育のようなものが台頭してきた。叱ってはいけないみたいな流行があって、私は「何それ気持ち悪い」と思ったものだが、実際子供に叱らない人が続出し、ファミレスなどで子供が大暴れして社会問題にもなったものだ。

しかし、ここ最近は違っていて、むしろ親が子供を叱っている姿をよく巷で見かける。あの現象は、今の親世代が、おそらくゆとり教育の失敗のようなものを見てきてるからかな、とも思う。具体的にどう理解して、最近の親が厳しくしているのかはよくわからないが。

ただ、褒める教育がいけないから叱るのだ、という判断は私はまた、正しい教育の方法とも違うと思っている。

昨今は、子育てに限らず、会社における部下の教育においても、どういう形で教育した方がいいのかを具体的にまとめてみたい。

 

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・少なくとも、上司が部下に叱ることだけを行っていると、部下は自己肯定感を下げる。部下は怒られないためにはどうしたらいいかを学ぶようになる。その結果、部下は主体的なことをしないようになり、上司に言われたことだけを行うようになる。

・上司がむやみに褒めることばかり行っていると、部下は何が正しいのかわからなくなる。部下が正しいことをしても、間違ってことをしても、上司にある程度の適当さを含んで全て褒められると、正しさを学習できない。どうすれば褒められるかがわからないので真の自信がつかない。

・上司が行うべきは、部下が正しいことをしたときは褒めること。間違ったことをしたら叱るというよりは伝わるように誤りを指摘すること。また、上司は部下の人格・性格などに踏み込んではいけない。あくまでも仕事の範疇で、正しさと誤りについて、適切な表現での指摘を心がける。

・上司は、部下の行動を逐一見て、正しいだの間違っただのを指摘することは求められていない。これをマイクロマネジメントと言い、最近の教育方法ではご法度とされる。そうではなく、上司は正しい情報を定期的に部下にインプットする。部下はその正しい情報を学んだうえで、自分の中に取り入れ、より正しい行動ができるようになっていく。自律的な学習であることが大事だ。

・褒める/誤りを指摘する、は部下の行動に対してのラベリングであると思う。そこに怒りなどの感情は入れない方がいい。感情レベルでの付き合いをすると、好き/嫌いなどのパラメータが指導に入り込み、メッセージがまっすぐ伝わらなくなる可能性が高くなる。

 

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だから、褒める教育、なる表現自体が間違った表現なのである。それは叱る教育、の否定をしようとして、裏返してしまうという短絡的な志向の結果だ。

目的は、本人に正確な情報を与え学習させることだ。これはAIにおける機械学習と同じ意味なのに私は気づいている。正しさは正しいと教え、誤りは誤りと教える。ここで、間違った情報を正しいと思いこんだとき、これを矯正するのが難しくなる。だから人間、いる環境が大事なのだ。正しいことを正しいとわかる環境にいないと、人間、間違った情報を正しいと思い込んでしまう。間違った情報群によって学習してしまった人間は、間違った行動を起こしてしまう。本人はいたって正しいと思って行動しているから、非常にたちが悪いのが特徴だ。

冒頭の話で言えば、まずは褒めれば育つというのは大きな間違いだ。正しさに対して、褒める、でラベリングしないと当人の学習の役には立たない。正しくもないのに褒めたらそりゃそうだろう。それどころか、部下はこの人は自分のご機嫌を取りたいから誉めているんだろう、と考え、褒めるメッセージがまっすぐ届かなくなっていく。そして本人は環境から正しさを教えてもらえず、日々、悶々として学習のきっかけをつかめないまま時間を費やしてしまうことになる。

こういう人が「叱って欲しい」と言うことがあるが、それもまた違う。「褒めるべき時に褒めて欲しい」「叱るべきときに叱って欲しい」と言うことだと思う。ぬるい環境にいると成長できない、というのは言語化するとこのようなストーリーなのである。

だから、褒める教育も叱る教育も、ない。上司が正しさと誤りを伝え続け、部下が自発的に学習し続けるプロセス、が今の教育であると思う。