orangeitems’s diary

クラウド専任の40代インフラエンジニアが書くブログ。新規事業マネージャー。20世紀末の就職氷河期スタート時にIT業界に文系未経験で入りこみそのまま生き残った人。

どうやったら部下は育つのか、という深遠なテーマに挑む

 

どうやったら部下が育つか、というテーマは永遠の議題だが何となく結論めいたものはある。指導、という言葉は捨てたほうがいいんじゃないか、ということ。

部下がなぜできなかったのかということについて、関与しない。できなかったことだけ上司は記憶する。その反省は本人にしてもらう。できるようになるかどうかは本人が決める。

上司は、いたってシンプルである。部下が今できないと考えていることを、上司が行い部下に見させ、共有する。共有すること、これが全てじゃないかと思い始めた。

部下が吸収したという根拠を感じるまでは、何度も何度も共有する。そこで部下によって反応の差が出てくる。やってみせようとすると、これは私は知ってます、できますという反応が返ってきたら、良い反応だ。では、やってみなさい、と。難度が高い場合は、どういうふうにやろうとしているか事前に口頭で確認する。もし危険な作業の場合は後ろで見る。

根拠がない間は仕方がない。できないことをやらせるほど無駄なものはない。部下が共有した知識を自分のものにし、自発的に行動しだすまで、上司はぐっと共有の日々である。

こういうやり方は、部下の主体性を奪うんじゃないかという葛藤を感じることがあった。目的だけ提示し、あとは部下がいろいろと調査し自発的に行動することによって身につくんじゃないか、と。しかしこれは、あまりにも個人差が激しく、人によっては手も足も出ない。そして指導すると、部下の自己肯定感が失われていく。どんどん何もできなくなっていくタイプもいた。部下の自発的行動は、上司が「自発的に考えなさい!」と導いでもダメなのだ。

それこそ「なんで質問してこないの!?」と、「なんで自分で調べようとしないの!?」の禅問答に吸い寄せられる、上司と部下のコントが始まる。

また、あなたはもうこの職場にはいらない、みたいなクールな対応ができた時代もあったけど、今はそんな時代じゃない。部下が辞めたら上司の負けみたいなルールになっている。だから、今に合わせた考え方をしていく必要がある。

上司が共有することなどなくなった時点で、組織は次のレベルに進む。ほとんどが部下が仕事をやってくれ、上司は「判断」が重要になる。部下はどのようにでもできるけど、どれを選択すべきか。責任が重い重要な判断であれば、上司にエスカレーションをする。本来の上司の仕事はここにあるはずだ。

しかし、私の目の前はそんなレベルにない。まだまだ私しか知らない情報がたくさんある。それをどんどん部下に共有する。部下のキャパシティーなど、関係ない。あふれたら、もう一度共有すればいいだけだ。私は今、共有モンスターである。日々発信していく。会社でも情報発信だ。もし、とても優秀な部下が育ち、私の情報を全部受け取ってくれたら次に行ける。次などあるのかわからないけれど。

「なぜ、この前教えたのにおぼえていないの!」というセリフも、今は禁句だ。何をいつ共有したかを管理する必要は、上司にはない。何度でも気が済むまで共有すればいいしそれが仕事だ。部下は、上司に何度も共有させないように鍛錬していけ。上司の知ってることなど全部把握できたよ、そんな部下が将来の上司になる。私の前にそんな部下が現れることを願っていたのだが、部下に「あなたが伝説の勇者様ですか!?」といつでも言いたい気分なのだが、このワールドには今の所、そんなキャラクターは存在していない。

勇者が私のもとに来るまで、共有する。共有に次ぐ共有。これが今の私の仕事なのであろう。