orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

大量の雑な情報で身を滅ぼさないために気をつけること

 

ネットを漂流していると、様々な情報が乱れ飛んでいる。全ての情報を把握できる人はいない。1いいねも付かない情報から、何万いいねもつく情報まで。量だけで言えば爆発している。テクノロジーの進化でそんな情報をも保管することはできていて、あとは人間がその情報にアクセスするかどうかという現実がある。YouTubeをみても、再生回数が数回という動画があり、中身を見るとやたら時間と手間をかけて作ったのにもったいない。だから、どういうふうに情報にアクセスするかは、人によって大きく違う。あなたが普段習慣にしているアクセス方法は、隣の人とは全く違うのだ。疑問に思うなら、何を普段情報源としてみるか聴いてみたらいい。ただ、もはや情報へのアクセス手段は個人情報に近しいものになりつつあり、聴いても教えてくれないかもしれない。そんなプライバシーに近いことをなんで聴くの?みたいな。まるで個人のスマートフォンを覗き見したような雰囲気になるかもしれない。だから、なかなか聴けないし、自分がユニークな情報アクセスをしているのだ、ということすら気が付かないのである。

ただ、ほとんどの人がやっていることとして、「バズっている情報」を優先するという方法論がある。SNSなどのメディアも、リコメンドとしてより人に見られている情報を見せようと試みる。たくさんの人が共感したから、あなたも共感するだろうという雑な判断である。私はたいていそういう情報に共感しない。ひねくれているからである。ひねくれを自覚している以上は、バズ情報にアクセスすることは時間の無駄である、ということがわかっている。

ここに違和感がある。きっと、バズ情報に多数の人々は時間を取られているはずである。その一方で私はそれを避け、アクセス方法をカスタマイズしている。SNS側も安易なバズ誘導は問題だと認識している。なぜその情報がバズったかについて、かなり疑わしい裏事情がありそうだ。お金を払えばいいねは買える。また、バズらせることができるインフルエンサーに絡めばこれも注目を浴びる。どう人々の目を惹きつけるかがマーケティングの妙だけど、それが高度化しすぎていて、何の価値もないものがバズっていたりする。アホだなあと思って、そもそもバズる情報そのものを見ないように努力している。バズる情報は全部無価値だ(自分の投稿以外は)ぐらいに強気に思って生きるのが吉だというのは、ここだけの、私の中だけの話である。

この世の中は、バズったら勝ちみたいなルールが表面上はある。そこに群がる多くの人々。彼らはどんな情報に価値があるかではなく、人を集められることに価値があると思っている。それならそれでいいだろう。大事なのは、そのスポーツにお付き合いしないこと。あなたが価値があるという発信源を大事にすること。いいねの数じゃない。メディアの権威でもない。著者、個人に対して信頼するかどうか。最近のメディア記事ですら乱雑な情報も多い。だからこそ、個人の情報に対する選択と、日々の精査が重要なのである。新しい情報源は常に生まれ、そして良かった情報源も継続されるかはわからない。でも見きれないほど大量の情報はある。選択するのは自分自身である。

簡単に言えば、バズってる情報ばかり追いかけている人は、時間を無駄に使った上に、無駄な情報を大量に浴びているために価値観すら作り変えられてしまう。ジャンクフードばかり食べていたらジャンクフードが美味しく感じるように、価値感すら過剰適応してしまう。だからこそ、言いたい。情報は自分の目で観察し、盲信すること無く、評判を気にせず自分の価値判断を重視して、食せよ、と。.