orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

縦割りの会社

 

会社に所属しているけど、9割の人とは話したことがない。残り9割は、面白いことに十年の間にほとんど入れ替わったと思う。辞めない1割、辞める9割。

せっかく同じ会社にいるのに、ほとんどの人と話もする機会がない。それは残念だなと思う。会社の社風の下にいるので、きっと考え方なども似通っているだろうし、何か協力できることもあるだろうに。

私は辞めない1割だが、誰かがまた辞めていくときに、あーあ、外から人材採用するのすごく大変なのにもったいない、と思うわけである。力になれるかどうかはわからないけど、話ぐらいは聞いてやれるのに。

辞めない私が会社の9割の人々と話したことがないというのは、多分他の社員も同じだと思う。みんな、会社には集っているけど、自分の周りの人は限られている。ということは、それぞれの人が同じ会社に居ながらにして、全く違う世界を体験しているということだ。

この感覚は、リモート中心だった少し前にはもっと思っていた。結局Web会議に映る人とか話をしないやん、と。オフィスに行っても誰もいない。あの頃はあの頃で、特別な時間だったと思う。ああ、いつも人に囲まれているようだったけど、結局目の前にいる人たちとだけ絡んでただけだったな、と。

中小企業にいてもそう思うのだから、大企業にいるともっとそう思うのではないか。この会社にいるけど、この会社のことをどれくらい知っているのか。日常的に話すことのある人の数を数えてみたらいい。昨今はデジタル化で、話すらしなくても仕事が済むようになる世の中で、人と話す機会はどんどん失われている気がする。

むしろ、SNSの方が、雑談ベースで進み匿名性があるので、会話は多い気がする。SNSって都会の発明なのかもしれない。リアル社会にいても雑談がない。飲み会はおそらく会社コミュニティーにおけるSNSのような効果はあったんだろうけど、あれは負担が大きすぎる。会社が終わった後何時間も束縛されるのは私は好きではない。SNSは、お金儲けの道具ではなく、人々が、自分のペースで、ある程度自分と価値観の近しい人と、軽い会話ができて社会従属欲求を不完全ながらもゼロではない量で満たすことのできる道具だと思う。

あの会社というコミュニティーが最もいやらしいと思うのが、人それぞれの役割で階級があり、上下があり、仕組みとして人をマウントしやすいということだ。今はそういったことで人の対応を変えることは非常に、品がない行為として嫌われる。けれども、実際に指揮命令系統もあるし、給与もそれぞれ違うこともわかっている。それで、みんな平等とはいかない。同僚とは競争関係で、出し抜かれて上に行くかもしれず、完全に心を許すのは無理なんじゃないかな、そう思って社会人生活を重ねて来た。

そうやって考えると、なんとも会社とは、窮屈なものか。会社としかコミュニティーが無い人は、会社がコミュニティー機能を提供してくれないと思うやいなや、転職していくのかもしれない。どうやっても社会人にとっては、会社こそがほとんどの時間を過ごす基盤なので、思いつめると、特に転職活動をして熱心に誘われると、そっち行ってみようかなとなるだろう。うん、なる。

皆、これからオフィスに戻るとしても、もう少し会社のあるべき姿については検討すべきように思う。効率主義・生産性重視で、人のコミュニティーを育むような活動を軽んじているのではないか。それを取り戻すために会社に集うなら、縦割りでは意味がない。関係ない部署の人とも絡めるような施策を会社が取らないと、これはもう、孤独が集まる孤独の孤城ができてしまい、退職者が尽きない、となってしまうのである。