orangeitems’s diary

クラウド専任の40代インフラエンジニアが書くブログ。新規事業マネージャー。20世紀末の就職氷河期スタート時にIT業界に文系未経験で入りこみそのまま生き残った人。

SNSが混迷に陥っている原因

 

今のTwitterの混乱は、SNSそのものの混乱と言えると思う。

人と人とがデジタル空間でつながり合う、ということがもともともSNSの定義だった。ただしリアル社会も同じ仕組みである。つまり人と人とがつながり合うと、いさかいが起きる。個人の欲求を無制限に拡散すると必ず争いが起きる。したがって、法律を作って、警察が取り締まったり、そして裁判が人を裁いたりする。SNSにおいても、リアル社会における法律を守らなければいけないし、それを破ると警察や裁判もあるので、同じである。ただ、少し違うのは、物理的接触がないために、つながりやすいということである。

リアル社会において、何らかの有名人をフォローしたとしても、その人の活動を日々モニターすることは難しい。インターネットの無い時代は、ファンクラブに入って、毎月届く会報を楽しみにするぐらいしかなかった。今はSNSのアカウント一つフォローするだけで、リアルタイムな更新を受け取って確認することができる。この手軽さが、つながりやすさの源である。

では、つながりやすくなりました、と。そして、たくさんいいねがつくようにもなって、みんな手をつなぎ仲良くなったね、なんて甘い話ではない。リアル社会でつながることに慎重な理由の一つに人間の「醜い部分」がある。人間の中には良い部分と悪い部分の全てが内包している。彼の彼女のこの部分は受け付けないと言う部分は人によってバラバラだし、だからこそ付き合う人は選ぶ。リアル社会だからこそ距離感を慎重に選択する。SNSにおいてつながってしまった後にわかることはなにか。大量の「醜い部分」との遭遇である。だからこそ、ブロックやミュートが出てきたのだが、かなりSNSにおける人間関係は複雑になってしまった。SNS疲れというのものは、ここから来ている。見えたくもないものが見えてしまう。見えたいものが見えることとも引き換えに。

だからこそ、SNSの運営というものが難しくなってしまった。法律に違反することに対する取り締まりの機能の実装については、難しくないと思う。しかしグレーゾーン、例えば陰謀論、ネガティブなコメント、粘着と言った現象については法律化が難しい。それをSNSの運用側が規定するようだと、表現の自由うんぬんで議論となる。

こういう話はリアル社会では、コミュニティーの中で、人々のパワーバランスの中で何となく決まっていくことである。こういう発言は嫌がられる、こういう話題はいい、自治的な動きで、自由の中に調和が生まれ、そして自律的に人々が過ごしやすい言論や行動のポリシーが生まれる。

ところが、SNSだとコミュニティーの境目がない。フォローしている人々の声を聴いているとあたかもコミュニティーにいるかのようだが、相手が認識しているかどうかも緩い。そんな状況だと、先述のパワーバランスが働かない。勝手にミュートにしたりブロックしたりで、コミュニティーの単位が成立しない。

自治的な動きが成立しないとすると、やはり、SNSの運営側に期待するしかないのだが、この運営側も思想が偏ったりしていて、結局のところ収拾がつかなくなったところまでが、今のSNSの状況なんだと思う。

とりあえず私は、noteメンバーシップを作ってこの中だけでコミュニティー活動をしっかりやっていっている。個人が扱えるコミュニティーなんて、家庭・会社、そしてもう1つぐらいだと今は思っている。SNSは、そうだな、人類には早すぎたと言っておきたい。