orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

会議が活き活きとするために必要なこと

 

今年に入って、多くリアル会議をするようになった。テレワーク中心の仕事を改めたからだ。2年ちょっとはリモート中心だったので、改めて会議とは何かを考えさせられた。特にリアル会議は物理的に人々を会議室に拘束することにもなるので、少しでも不快な、不都合のある事実は取り去らなければいけない。会議が無駄だと、その人数にかけた時間分のお金が無駄になる。

会議が機能するために必要なことは「ファシリテート」だという論をネットで見かけた。この説はコロナ禍の間で急激に普及したWeb会議で有名になったと思う。マネージャーが司会者をやるのではなく、司会進行は専任で行い、会議の進行自体を管理する。そうすることで、誰かの独演会になったり、もしくは誰も話さずに意味のない形式的な会議になったりすることを防ぐ、と。

でもこのファシリテート論。何周かぐるぐる考えて、私は否定するに至った。ファシリテーターなんて、ファシリテーターっぽいことをやりたい人が自分の存在を売り込むために作った、アリバイ作りに過ぎないと思う。会議が踊らない原因はファシリテートされるかどうかには、ない。

私が考える原因は「参加者」だ。会議を行う参加者同士は、意見を言い合える立場である必要がある。例えば、部長と現場リーダーとメンバーがいるとする。このような会議だと、部長が延々とあるべき論を話し独演会となる可能性がある。ただ、現場リーダーは部長には報告したり、場合によっては反論して議論を戦わせたりするだろう。しかし、メンバーは中々話す機会がない。振られたときには話をするが、基本的な役割はない。

もし、勇気をもって発言したとしても、現場のリーダーや部長から何倍ものレスポンスを頂くことになることも多いだろう。たいてい、余計なことは言わない方がいいという暗黙の了解が時間と共に形成され、だんだんとこのような会議は形式的になりがちである。

形式的な会議も中には必要なのだが、回数が多すぎると、非効率で全員の稼働を増やしてしまう。非効率な会議の回数が理にかなってない形で多いと、肝心の仕事に集中できない。これは避けなければいけない。

だからこそ会議とは、コミュニケーションが成立する範囲に参加者を絞って行うことが望ましい。先ほどの例であれば、部長と現場リーダーのみでの会議。また、現場リーダーとメンバーの会議。それぞれ別にしたほうがいい。そうすれば、部長と現場リーダーは直接やりあえばいい。現場リーダーとメンバーは大いに議論ができる。それぞれにおいてファシリテートの必要などない、のだ。部長はメンバー一人一人と会話して調整する必要などない。現場リーダーに任せ、リーダーから情報を吸い上げればよい。

記憶をさかのぼるに、ファシリテートが必要な会議で何か重要な議論がされたことはない。ただただ形式的な会議を形式的に流すために必要だった。しかし業務での会議の場で最も重要なのは、真に議論ができる、物事が決められる会議だ。情報が動かなければ集まった意味はない。だからこそ、見つめるべきはファシリテートの有無ではなく、参加者の質、そしてそれぞれが自発的に会話できる関係で、その結果物事が判断され、参加者間で合意されるというプロセスである。

もし、会議の組み方で問題を抱えているなら、このように、参加者のことを気にして見たほうがいい。誰が参加するか、と言う時点で会議の行く末が随分決まってしまっているのだから。