orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

本当の気持ちを言わせるために必要な、聞き役に徹する15分

 

コロナ禍が終わって、オフィスにたくさん出るようになって、リアル会議も回数も激増した。会議なんてなくても会社なんてまわるさと思っていたけど、複数の人が共同で同じ目的に向かって仕事をするためにはどうにもこうにも、会議は必要だ。

会って話をして、同意を得るというのは、コミュニケーションの中でも最上級だなと思う。デジタルではほぼすべての情報処理はできる反面、人の気持ちの整理まで踏み込めない。整理がつかない気持ちを放っておくと、説明できない理屈では成り立たない事実が発生する。

人間がやることだから、気持ちは大切だよね、とは言うが、どんなプロジェクトの工程表にも「気持ち」という言葉は出てこないだろう。

どこかで、人々の気持ちを汲み上げて、リアルに落とし込み現実を変えなければいけないのだが、それが会議という場所の目的となる。

だから会議を開く前に、デジタル上で済むことはすべて済ませておかないといけない。その上で残る、人の気持ちのわだかまり、欲求、不満のようなものを整理し、会議で解決もしくは、議題にうまく挙げることがとても大事なことなのだ。

最近は、そんな会議ばかりだ。多分私が、人のお気持ちをさておいて、効率化ばかり進めてきたのでツケを払っているんだろう。ま、コロナ禍って、効率化を進めることに集中するいい機会だったからね。全部時代のせいにしておけば、人の気持ちを横に置くことができた。この時代を乗り切ろうってね。

でももう、そんな時代は終わった。今こそ、この3年くらい置き去りにした人の気持ちを中心にして仕事をしなければいけない。それを無視した現場はきっと、早晩に崩壊する。これは、予言しておく。時限爆弾がたくさんの職場にしかけられており、マネージャーが優先度を上げて対応しないと、とんでもないことになる。

だから、大手企業中心に、オフィスに戻れと騒いでいるんだけどね。

ただ、お気持ち、と言った途端に私の職域じゃなくなる。私は人のお気持ちなんてさておいて、スッタカターと早業・神業を繰り出して、人を置き去りにして仕事するタイプだから。リーダーはできるけど、マネージャーなんて無理。ああ無理。

去年あたりにその事実を痛感し、それならそれでと時間をかけてマネージャー業を手放そうとしてきたけれど、そうかすべてのマネジメントを手放すのではなく「人のお気持ち」を手放せば良かったのかと、最近合点した。それがやけに上手な方は他にいるし、私があまり得意じゃないそれを、引き続き担うよりは、お任せしてしまえばいい。

私は、現場の仕事に集中し、顧客との信頼関係醸成に邁進し、そして(私ではない)マネージャーのもとで、働きやすい職場づくりをがんばってね!、というのが今見えている景色である。

 

さて、長い前段は以上で、今日の会議ではとても興味深い現象があった。

目の前の出席者が、会議の冒頭、いろいろ話してるんだけど、「ああこの方、本当に言いたいことはそこじゃないんだろうな」とすぐ思った。思ったけど、遮らず、15分くらい、うんうんと頷いていた。

いよいよその話が終わったかな、と言うところで、そこでもすぐに意見は返さず、司会者から感想を求められるまで待った。

この15分。多分、今までの私にはできなかった。

その後、話題を軌道修正しながら、最終的に出席者の「お気持ち」に入っていったわけだが、多分、はじめに話す内容をちゃんと聴けていないと、多分彼は本音を言わなかっただろうな。

聴くというのは、情報処理におけるインプットの機能だけではなく、受容の意味があるんだよね。遮らない。否定しない。肯定もせず、淡々と承る。

その儀式を超えて、お気持ちについての議論が始める。

ああこれが心理的安全性の確立なのか、って。

得意じゃない部分って、学びは大きいな、と思った今日の現象であった。