orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

40代になってからの違和感、その正体

 

子どものころって、勉強や部活などなど、やらなきゃいけないことって今の会社員時代よりも存在した記憶がある。定期的なテストで点数を取らないといけない前提で、その上当時の部活動は結構な猛烈で、放課後や土曜、日曜の余暇まで奪ってきた。

それなのに、その隙間で味わう、マンガ・音楽・ゲーム・テレビ番組その他、どれを取っても楽しくて時間を忘れた記憶がある。あらゆる創作物が楽しみの宝庫で、どんなに消費しても消費しても、当時の忙しさとの折り合いで空腹感を満たせることはなかった。自由になるお金も無かったこともあり、手を出せない圧倒的な作品の量をうらやましがっていたという面もあるだろうけど。

今はもう十分大人になって、コンテンツに対してお金を払って手に入れられるお金には不自由していないし、むしろサブスクリプションで出費を抑えつつ、時間があればいくらでも入手できる。インターネットもあり昔より随分コンテンツを消費できるための技術的障壁は下がったと思う。オンデマンドで自分の好きなものをすぐにタッチでき、子どもの頃に食べられなかった色んなものを今、手に取ることができる。

ところがどうだい、子どものころに熱中したように、作品を楽しむことができない。ゲームを始めてもエンディングまで辿りつかず放置したり、作品を最終話まで見なかったり。あの頃の感受性はどこにいってしまったのか、これが精神的な老化か?と思うこともあった。

しかし、ふと冷静になって考えてみると、理由がありそうだとおもった。ゲームを例えに取ってみる。今はグラフィックが超絶進化していてかつ声優がセリフまで付けてくれるが、具体的であればあるほど、キャラクターがめちゃ10代であることを思い知らされる。コントローラーを握っているのは40代のおっさんであるので、まあこのギャップ、心がいつまでも若い!って豪語しようが、差分を脳で埋めなきゃいけない。

まだ、ファミコンのゲームのようにキャラクターがドット絵で、セリフもなくて、想像の隙を許してくれるのならいいのだが、今の作品たちは製作者の想像をより具体的にしてくるから、まあ感情移入しづらい。

作品群のテンプレートでもある、10代や20代前半の若者が、恋愛を絡めながら、成長して最後の敵を倒し、世界を救う的な原風景を、どうやって40代が楽しむか。そう考えると楽しい作品は選ばないといけない。中には40代以上でも楽しめる作品はあるのだが、見極めて行かないとまた、楽しめない作品を手に取ってしまう。

そのうち、めんどうになってしまうのである。自分の感受性が失われてしまったと悟ってしまったほうがわかりやすい。流行になっているものもほぼテンプレ展開なので、関心を失ってしまう。

というのが、40代になって感じたこと。ただ、じゃあつまらないまま人生を過ごしていけということではなく、頭の切り替えが必要だと言いたい。既存の作品を消費するのではなく、自分で旅行をしたり、もしくは作品を作ったり、習い事を始めたり、副業を始める方向へ向かうことを勧めたい。消費ではなく生産の方向に向かえばいいと思っている。

楽しいことを自分から作り出す。それぐらいの経験や知識がついている。作品がつまらないと思うなら面白い作品を生み出してみればいい。地域のマルシェやフリーマーケットなどに行くとよく高齢の人を見かけるけど、おそらくそういうマインドなんだと思う。アウトプットが楽しくなる世代。それを頭に置いておけば、年を取るのは怖くないと思う。