orangeitems’s diary

クラウド専任の40代インフラエンジニアが書くブログ。新規事業マネージャー。20世紀末の就職氷河期スタート時にIT業界に文系未経験で入りこみそのまま生き残った人。

話し合い、という場での悩み

 

話し合いという名前の会議に出るときの悩みがある。

自分が組み立てた意見が全部通り、全部が採用されてしまうということ。

多分、そういう場が得意なんだと思う。参加者のいろいろな情報を聴いたうえで、まとまるためのシナリオと前提を作り納得感の強い一連の作戦を言語化すること。

何せ、端的な一意見ではなく、ストーリーとなっているので説得力もあるし、流れがあるので個別の意見も崩しにくい。大多数の意見も拾っているので指示も得られやすい。

ただ、これには問題がある。中には、自分が決定プロセスに対して噛んでいないことに不公平感を持つ人がいる。あの人が何でもかんでも決めちゃって悔しい、みたいな感情論もある。

一方、完全乗っかり型の人もいる。そこまできれいにシナリオができてるならそれでいいじゃないか、と。その時は味方になってくれるが、ところが実は、話し合いが完結するから利用しているだけの人もいる。無難に決まったね良かったねと。このパターンの先にありがちなのが、「じゃあよろしくね」って言って、実行まで私に振られることだ。

この、決定力があるタイプの人って、組織には一定数いるんじゃないか。そして悩むこともあるんじゃないか。能力を発揮すると全部決められるけど、参加者のためになっているのか。敵を作るんじゃないか。諸々。

さて、この悩みをどうするか、については私も長い間取り組んできた。完全に解決する方法はないが、いくつかやり方はある。

 

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①全ての話し合いには参加しないこと

何かを決定するためには何らかの主体性が必要である。私が出ない話し合いでは、誰かが代わりに主体性を発揮しなければいけない。つまり、この分野については私は決めない、と宣言し話し合いには参加せず、決定事項に従うことをあえてしないといけない。

全ての話し合いに出て全部自分が決める、というのはマイクロマネジメントにつながる。これをやるとメンバーの主体性が成長せず、全てにお伺いを立てるようになってしまう。

自分が決めるべきことを、その重要度によって分類し、高いものを選択して参加するべきである。

 

②時にはレビュアーに徹すること

決定権は自分が持っても構わないが、あくまでも案はメンバーが作る。その中から決定するのは自分、つまりレビュアーに徹すること。重要ではない事項はほとんどそうしたほうがいいと思う。

自分が立案から組めばうまく行くのはわかっているが、それを全部自分がやっていたら、自分しかできなくなるし時間が足りない。

立案については手放しつつ、自分の要望を正確にメンバーに伝えるようにする。

メンバーも、決定する権利は私にあるということで、何が採用されても不安は持たなくなる。決定した人が責任を持つのだから。

 

③話し合いを否定すること

そう、そもそもだけど、私は話し合いというものが嫌いだ。

誰かと調整することで、仕事は途端に遅くなるではないか。話し合うのではなく、情報交換をすればいいのが理想だ。正しさを複数の人間が見つけるのではなく、それぞれが自分の正しさを見つけて実行したほうが、いろいろ速いのではないか。

話し合いがなくても仕事が回るためには、権限や責任をうまく分解し、公平かつ効果的に分配する必要がある。そうすれば話し合いは不要になる。それぞれで進めればいいのだから。不安な部分を複数の人出支え合えるようにすれば、いさかいも起きない。

 

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こういう具合である。話し合いで悩むたびに、この悩みを解決するよりそもそも話し合いが極力ない仕事の仕方のほうがいいと考えて来た。

複数の人が一緒に働く時に、ディベートが上手な人、口達者な人の意見ばっかり通るような現場にしたくない。トークサバイバルみたいな現場では誰も長く働きたくないはず。

話し合いの場を減らし、個々が調整ごとに追われず自分の仕事に集中できる現場がいいよね、と思う。