orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

社会人という山を登るときに押さえておいたほうがいいこと

 

社会人になりたての人に向けて書こう。とは言え30代までなら役に立つ内容かと思う。

私は40代も後半で、だいたい15年くらいこの山を登ってきた。途中で山を下る人もいるみたいだが、私はまだ登っている感覚にいる。

この、山という例えはなかなか良くて、山と言っても富士山みたいに円錐のような形ではなく、日本アルプスのように山々が連なる、連峰のイメージだ。登っていると今どこに自分がいるかわからなくなる点も含めて似ている。

高い山に登っていると思ったら実は丘であったり、急に迷い込んで高い山につながっていたり、無計画に進むととんでもないところも似ている。

自分が今どこにいて、周りがどんな地形かは気にしないといけない。

 

さて、山の件はさておき、知っておいて欲しいことがある。

高みの景色を見たいのであれば、全ての経験が結局が1つの山を登っている形でありたい。色々と手を出して、全部中途半端になるのが一番登れない。いろんな山に行っては引き返す。それでは高い場所にはたどり着けない。

だからといって、一つのことばかりやることに固執して、この分野は自分の領域じゃないからやらない、という人は決して大成しない。私もそういう人を見たことがあるが、やっぱり早い段階で行き詰まっている。

なぜかというと、その自分で決めた自分の専門領域は、面積が狭いからだ。山で言えば低い山。しかも、連峰ではなく1つだけの小さな山だ。その頂上で偉ぶっていても、それ以上の伸びもなく、そして時代遅れになっていく。

若いうちは、いろんな領域について、あまり制限を設けず、何にでも手を付けるのがいいだろう。というのも、経験が浅いうちはどんな経験が何とくっついて、更に大きな話になる、ということが計算できないからだ。若いうちは、全てが「点」でしかない。特にどんな業務も雑用に近いだろう。でも、どんどんやりゃあいい。若い頃のプライドなんて無駄である。とにかく経験を多くすること。経験の意味を強くしたければ、勉強をすること。勉強は「基礎」が大事。基礎さえつかんでしなければあとは経験から勉強ができる。

だからこそ、若いうちの、無差別な経験取得と、基礎の座学。これらの組み合わせる努力を続けることにより、そうだなあ、30代後半くらいかな。今まで登ってきた山が、急に連峰になる瞬間がやってくる。そうか、点だと思っていた経験は、線となり絵になり、大きな1つの山が見えてくる。自分自身が長い間かけて、1つの大きな山を攻略していたことがわかりだすのが40代だ。

だからこそ、1つ1つの経験について、大事にしてほしい。捨てないでほしい。失敗して止めるのは問題じゃない。止める経験も経験だ。無かったことにしないこと。成功でも失敗でも、白でも黒でも、何でも学ぶ対象にすること。プラスの量が多ければ成長するわけでもなく、マイナスも同様。絶対値の世界で、何しろ経験が多く、そこから学ぶ姿勢さえ失わなければ、突如わかる瞬間がやってくる。

よく「これまでの経験が何につながるかわからない」と年配者が言うが、これは今回申し上げたことそのものだ。わからないからこそ、やっているときは手応えがないのだけど、それでもとにかく一生懸命にやってみる。結果は気にしなくていい。最後は1つの山に登っていたな、と気がつければそれで「勝ち」だと思うし、どんな人も勝てるようになっていると私は思う。

なぜなら、全人類が1つの山を登っているわけではないからだ。それぞれ人生ごとに山があり、どう攻略するかということが、この世のミッションのようになっていることを今なら気がつくことができる。

若いときの私にこの話を聴かせてあげたかったけど、まあそんな話をされても聴く耳を持たないような、我の強い若者だったので、まあ思い出程度にここに残しておくとしよう。どこかの誰かに届くならうれしい。