orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

やられた振りをして結果で見返す

 

色々と誤解を受けてしまうこと、生きている限り避けられない。他人は自分のことをよく見ているようでよく見ていない。妄想の限りを尽くして、あの人はああ言う人だと決めつけてくる。他人の決めつけ、他人の数が多ければ多いほど既成事実化して、自分自身がそれを否定できなくなる。自分はそうじゃないですよって言っても、誰も信じてくれない。みんな、ああ言ってるから。誰だみんなって。当の本人が自分のことを語っているのにそれは信じられないのか。きっと保身のために飾ったことを言っているんだろう、それより周りの証言の方が本当だ、というロジックなんだろう。でも、何とも興味深い。自分のことに関する分析について、自分が語るよりも周辺の発言の総意のほうが優先されるというね。

日々社会の中にいると、自己評価と他人の自分に対しての評価が一致しなくなることがある。しかも悪い方に。他人が言っていることに真実性があればいいが、噂や大昔のちょっとしたコミュニケーションした記憶だけで、「あの人はああいう人だ」なんてはっきりと決めてしまう人もいる。その場合、違うことを自ら証明しなければいけないが、いったいどうしたらいいのか。自分がこうだと言っているのに信じてもらえないのだから、すぐにリカバリーなんてできないのは明らかだ。

こういう時に、若かりしころはブチ切れたり暴れたり、なんてことはあるのかもしれない。しかし、もはや経験を経て今に至った私はこんな対応をしている。

・一切反論しない。

・誤った判断をした周りのことを信用しない。

・信用していないので、余計なことは発言しない。余計なこととは、相手を傷つけることや否定すること。自分を高く評価するようなこと。つまり謙虚を演じる。鉄壁の謙虚。

・周りの意見を尊重し、慎重に行動する。行動が周りを刺激しないことを念頭に置く。

・その上で、周りが認めるようなより良い結果を出し、その上で周りのおかげだと常に言う。

まるで、周りの軍門に下ったように見えるこの行動指針だが、ちっとも「やられて」はいない。むしろ周りの自分に対しての見方は誤っていたんだな、ということを中期的に悟らせる作戦であるのだ。

どうせ周りの他人だって、大したアイデアもなく思いつきで指摘しているだけである。本質的に自分のことじゃないので無責任なのだ。というより、そこまで執着するほど他人に関心はないのに、自分さんってどうですか?って質問されたから無理矢理ひねりだしているところはある。あ、思ってたんと違うわ、と思い至らせるためには少し時間をかけて、自分が周りに対してプレゼンテーションする必要がある。「あなたの思っていた私ではありませんよ・・」って。そのためには、誤解をした周りを責め立てて敵にするのではなく、周りをとにかく刺激せず、周りの意見を尊重(する振り)をし、そしてがっつり結果を出した上で、「周りのおかげです」以外は言わない。そしたら、周りも分かるはず。

「あ、この人、従ってる振りをして自分を曲げないで、しかも結果出しやがったな?」って。

このプロセスを知っておけば、何か良からぬ誤解を他人から受けたときに、攻め方がわかるはずである。やられた振りをしておけ。見返すには結果。時間をかけてやり返す。誤解されたら負けではなく、誤解すら物事を前に進めるエネルギーにしていく。そんなタフさを持っていたい。