orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

就職氷河期、始まりの風景

 

1997年。就職氷河期が本格的に始まったころだと思われる。この頃、誰も就職できなかったかというとそれは言い過ぎで、良い条件の会社が軒並み採用を絞ったという程度だった。百社落ちたみたいな話もよく聞こえてたけど、いい会社を受けまくったらそりゃそうなるよな、ぐらいの感覚だった。

同時に派遣など非正規で新しい働き方みたいなものが、なんだかかっこいい働き方みたいにテレビCMで大量に宣伝された。そもそも就職活動もうまく行かない時期だったことも重なって、仕事のあり方が大きく変化した。

私は相当適当な理由でIT関係の企業に正社員で潜り込むことができたが、実際なところ他社へ常駐する、いわゆるSESを生業とする企業だった。

新卒で入社したその年には、他社のオフィスに通うことになる。自分の会社のオフィスには自分の席が無かったので、もはや自分が何の会社に所属しているのか、わけがわからなかった記憶がある。

さて、その常駐先、たいそう有名な会社で結果的に十年以上いることになった。当時の状況では正面から就職活動しても入れなかっただろう。なんだかんだで潜り込めたおかげで、有名な会社の仕事のやり方や環境を、20代で知ることをできたのは結果的に財産になっている。

当時、1997年から2000年くらいまでの職場(といっても他社だが)の様子を思い出すと一つ特徴的なことがあった。同級生がいないということだ。同じ年齢の人はおらず、少し年上(といっても5年上くらい)ばっかりだった。

当時新卒採用を大幅に絞ったのは、その直前のバブル崩壊まで新卒を取りすぎた反動というのがあるらしい。就職氷河期世代はその後始末のために入口を狭められ、その代わりに、非正規雇用や私のようなSESの形で、終身雇用せずさらなる景気悪化の際の調整弁として扱われた(と思う)。

私のような当時の新卒は大人数で現場にアサインするのは非現実的で、経験者とセットでおまけで付けられる感じで入ったので、同期もいなかった。ただ他社のオフィスにもいなかった。あれ?どこにいったんだろう同級生は・・。

当時の違和感に対する疑問は、実際なところそこから10年くらい2010年くらいまでは同様で、ちらほら自分より若い世代が目立ってきた一方で自分と同い年にはなかなか会えなかった。

今は違う会社にいて、身の回りには同級生に近い人もたくさんいる。彼らのプロフィールを知ると、苦労人ばかりである。ブラック的な働き方を経験した人たちばかり。きっと彼らは、私と同様に生き残りだ。どこの現場でもきっと孤立無援で、非生産的な労働環境のなかで何とか光明を見出し、生きる術を身につけ、そんじょそこらの問題ではビクともしないメンタルと柔軟性を持っている。

今の20代、30代前半あたりが、40代の生き残りを観察すると少し非人間的な、タフ過ぎる性質を目の当たりにするだろうがしょうがなかったのだ。誰かに教育されることもなく、投資されることもなく、自分のパワーとセンスだけで過酷な環境をこなしていった彼らは、今の整理されたスマートな世の中などぬるくてたまらない。

今後は二度と、世代ごと窮地に追い込むような時代を作らないで欲しい、と当事者として思う。あの頃はサバイバルであり、世代の中でバトルロワイヤルを行っていた。本来は、みんな手を取り合って成長していくのが正しい姿よね。