orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

何かを習得して成長する、の先にある景色

 

資格の勉強をしたり、本を買ってきて読んだり、何かの集合研修を受けて来たりと、自分を成長させようとがんばること。それ自体に何の問題もない。モチベーションがある限りはどんどんやればいい。

ただ、何かを習得することをすなわち、自分の成長と単純に結びつけて考える人はきっと大きな壁にぶち当たるので伝えておきたい。

ゲームで例えようか。剣を振って敵に100ダメージ与えていた人が、レベルアップして150ダメージを与えられるようになった。もっとがんばって200、300となっていくと、自分は3倍成長できたな、と思うわけである。

ところが、3倍成長したからと言って、収入が3倍に増えるかというと絶対そうはならないと思う。これが社会のとても複雑な部分だと私は捉えている。

何か別の攻略要素があって、それに気がついて対応しないと、単なる与ダメージが大きいキャラクターになってしまい、それが必要とされる場所を転戦するも、なんだか頭打ちに感じるようになるというのが世のパターンであろう。

つまり、自分ができること、という視野を持っている限りは、できることは自分のポテンシャル(潜在能力)までということになる。

でもどうだろう、一人でいくらがんばったところで、できることの規模はたかがしれているのではないか。

1万人の大企業が提供するサービスに対して、一人の天才技術者が何か対抗するサービスを立ち上げたとて、敵わない。それは、1万人を束ねることができたからこその成果である。

言いたいことは、誰かを巻き込んでもっと大きな成果を出していく、ということを自分の成長の範囲に捉える必要があるということだ。何かをやっていくに当たり、それを自分がやらなくてもいいようにするにはどうしたらいいか、という観点が大事になるのだ。

できるだけ自分が手を動かさないこと。そのためには、自分の能力を他人に授ける必要がある。そしてそれから。

- 授けた他人が、自助努力でさらにできることを増やしていける環境を与える必要がある。そうじゃないと、他人は与えられたこと以上のことをやらなくなってしまい、徐々に退化していく。技術はすぐに新しくなるから。

- 他人がやってくれたときにできた自分の時間で、自分しかできないことを追求していく必要がある。自分しかないことがいずれモノになったら、それをまた他人に授けるという視点を持つこと。

何かができるとき、その主語が自分でなくてもいい、と思った瞬間にきっと自分の世界に対する見方が大きく変わるだろう。常にそのできることの「渦」の中心に自分がいられるようにする努力をするとき、全部自分でやってしまう姿勢を持ってしまうと、渦自体が大きくならないことに大いに悩むだろう。

今の社会は、ジョブ型、リスキリングなど、自己スキルに焦点が当てられがちである。しかし、それでは、何かの大きなビジネスの中の部品としてしか扱われない自分を感じることになるだろう。そんな景色は早めに脱して、もっと広く自分の可能性を考えて欲しいものだ。できるようになったって、それを自分がやる必要はない。この意味が示す景色はとんでもなく大きい。