orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

どうしても伸びない人に悩みだす周辺の人たち

 

何度も経験がある。伸び悩む部下を持ったら、先輩は大変である。

自分の教え方が悪いのかもしれない。指導方法に工夫が足りないのかもしれない。もっと打ち解けたら変わるかもしれない。時間がかかるのかもしれない。

そうやって、いろいろ自問自答しつつ、いたずらに時間だけが過ぎていく。こんなに労力をかけたのに結局、満足得られる成長がない。そのこと自体、本人に危機感を持ってほしいのだが本人の性格のせいか、効果がない。

こんな状況の時、関係者はどうすべきなのだろうか。

経験が少なければ少ないほど、「自分ならどうにかできる」と思いがちだ。私もそういうタイプだった。いろいろな熱血指導を繰り広げてみたのだが。

熱血指導で何度かうまく行ったケースがあった。あったのだが、彼らはそろって転職してしまった。ほんと腹立つ。労力を返せ。転職するためにこちらは親身に教えたんじゃないんだぞ、と思うが、職業選択の自由があるのでこれは私のわがままだ。

つまり、熱血指導なんて本当に意味がない。リスクしかない。淡々と学んでほしいことを伝え、それができないのなら去っていただくしかない。

すごくドライで冷血なことを言っているかもしれないけれど、それが自分のためはもちろん、本人のためにもなる。伸び悩むということはこの仕事が向いていないということだ。向いていないことを延々と時間をかけたところで、人生の浪費である。その浪費に他人がつきあわされるのも不幸だ。みんな不幸だ。こんな図式のときに、「よーし熱血指導するぞー」とやった日にゃ、かけた労力に対して見合わない結果が残るし、その上で「あの先輩パワハラするー」なんて逆恨みされかねない世の中である。

ちなみに、すごく業界に向いていて、教えたら教えた以上にいろんなことを学習してきて、みるみる伸びる人もいて、私は今そういう部下とめぐりあっている。同じ部下を持つにしてもこういう部下が欲しい。私が熱血指導したいと思わなくても、食いつきがいいので血が熱くなっていくのだ。じゃあ、これも知ってる?あれもやる?、これぞコラボレーション。人を教えつつ自分まで頭の整理になり、お互いに知を高め合うような関係にもなれるのが、人を教えることの奥深さだ。

私は、人に懇切丁寧に教える気はないが、情報提供をちゃんとしない上司とは思われたくないので、ちゃんと情報を整理して部下に引き渡す。その情報を十二分に酌んでくれるからこそ、さらにアシストしたくなるし、それをまた感謝される。

 

部下を持つ、と一言でいっても、伸びない人か、できる人かでこれだけ世界が違う。それならば、伸びない人だったときには、教える努力をやめることも重要なのだと思う。あまりにも絶望が深いではないか。その時間を自分のために使い、来たるべき「できる部下」に注いでやったほうがいい。

どうしても伸びない人にであったら悩むのではなく、そっと遠ざかるのが、私から伝えられる経験である。