orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

部下を教育する上で大事な考え方

 

部下を教える、という体験は沢山の人がしてきたと思うし、私も携わってきた。

どうやったら人は育つのだろう、というときに、実はほとんどの人が素人だ。だから行き当たりばったり。試行錯誤をして皆、何かを学んでいく。

私が部下を教育する上で、過去一番間違っていたと思うのが、教育とは「プログラミングすること」だと思っていた。有識者の私はこう言う時にこうする。1つの処理となっていて、全てコードで表現できる。この処理をたくさん言語化し、たくさん部下に与えてやり、記憶が積み重なれば、自分のコピーができる、と思った。そう思い込んでいた。

このプログラミング的手法、年々難しくなる。なぜなら、自分の学習が進み、コードの本数がますます増えていくからだ。自分の学習スピードの方が、部下に教える機会より多いので、途方もない作業となっていく。

そして、部下も、たくさんのコードが降りてくるが、それらを逸脱しない。こういう場合はこうする、が全く一致すればそうしてくれるが、現実とは想定外の連続だ。プログラミングした結果、例外処理のたびに私にエスカレーションしてくるのだが、その回数が多すぎる。

じゃあ私は誰かにエスカレーションするのかというと、基本自分で全部解決する。だから、部下はいつまで経っても私のコピーにもなれない。

 

間違いに気づいたのは最近だ。「プログラミングすること」を捨てた。そうではなく、私が知っていることを「まとめて、わかりやすく、全体がつかめるようにして、より伝わるようにすること」。

つまり、これ、やっていることがChatGPTのそれと全く同じなのである。

処理を教えるのではなく、どんなことを知ると何が便利なのかを伝えるようにした。相手が知っていようが知っていまいが、興味があろうがなかろうが、私がこういうことを知っているから主体的に行動し判断できるんだよ、ということを語ることにした。

その上で、部下は伝えたことを更に調べるも良し、知ったことを元に何か実験してみるも良し、どう行動するかは任せた。プログラミングが身に付いているかのテストなどしない。彼らがどう感じたのかもコントロールしない。学んだことは仕事自体で結果を出してくれればいい。テストなど無い。

情報を与え理解させることができれば、何かが刺激となるかもしれない。私はこんなことをわかってなかったんだ、学ばなきゃ、という発見、興味を促せる可能性がある。

考えてみれば私も、誰かからプログラミングされた記憶はほとんどなく、環境のさまざまな情報から、自分が学ぶべきことを発見し、自主的に身に付けて行った。そう、人間とは自分で学習し勝手に賢くなる能力がある。教える側は、その機構を利用しなければいけない。プログラミングするというのは自己学習のモチベーションを削る、逆効果なのであった。

部下に、「彼らは、教えたことはできるが、教えたこと以上のことは絶対にやらない。」という不満をもつ指導者は、やり方を改めるべきだと思う。人間は、自分で勝手に賢くなる。そのお手伝いをするのが教育なのだ。

 

この考え方の先にあるのは「部下の進捗や習熟度を気にしない」という態度だ。だって、部下の頭の中をのぞけはしないのだから。そんなことより、まず適切な情報を与え、そして学習が進むのを待つ。この繰り返しをしているうちに、彼らは自分が足りないということを発見し、後は彼ら次第。そして結果は、仕事の品質で見ていく。

一見、投げやりな教育方法に見えて、最も人間の性質を踏まえた効率的な方法である。8時間の学習時間があれば、その中の1時間授業をするだけでいい。後の7時間、彼らは変化が起き勝手に勉強し始める、かもしれない。このサイクルの確立こそが、教育をする上で大切だ。細かいプロセスまで口を出すような、マイクロマネジメントこそ、最も効率の悪い指導方法なのだと今は思う。