orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

パワハラ上司にならないために気を付けること

 

よくわかる。

 

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いわゆる「仕事ができるタイプ」の上司を持つと、自分ができるだけに周囲にも同じ水準を要求しがちです。

販売成績や顧客からの評価がよければ会社からも評価されている場合が多く、部下への指示・指導の内容自体は問題ないので発覚しにくいのですが、言い方がきつかったり、自分と同じやり方を強制するなどの課題が隠れていることが多いのです。

このタイプの上司は、誰よりも会社に貢献して成果を出しているという自負があります。また、それが事実であるために、会社も重宝な存在として扱います。しかし、だからといってパワハラが許されてはなりません。

 

こういう話を聴くと、部下にパワハラと取られないために必要な努力が見えてくる。

 

(前提)

・指導内容は著しく正しい

 

(してはならないこと)

・声を荒げない

・机をたたかない

・モノを投げない

・人格を否定しない

・仕事の指導の範疇を超えない

 

書いていてわかるが、「自分はそんなことしないよ」と言う人も、知らず知らずのうちに似たようなことをしてしまうリスクを誰しも持っている。普通に考えると、声を荒げて机をたたいて、モノを投げて人格を否定し、仕事の範疇を超えてしまう人はえらく危ないが、部分部分でエラーを起こすすのが人間である。

それは、自分が著しく正しい、という過度の思い込みによって、指導される部下が悪いという結論が生み出されることに起因している。悪いなら、何をしても自分が正しい、というつながりが生まれてしまう。心の中にある正義が過ちを見えなくしてしまう。

過去、パワハラの疑いをかけられて非常に落ち込んだ部下を知っているのでわかる。当人はとても情熱を持って指導していた。その情熱が、こういったパワハラまがいの行動を引き寄せてしまう。そして本人に自覚がないのが最もたちが悪い。だって、指摘されたときに、本当にびっくりしていたのだもの。彼は、部下の能力が低いことが露見する度に、あいつはダメなやつだと豪語していたから。

その騒ぎの際、本当にパワハラだったのかはうやむやになったが、しばらくして彼は退職してしまった。

この現象は誰にも得なことがない。たくさんの人にシェアされるべき情報だと思う。

 

と、頭では理解できる一方で。

著しい正しさに対して、反論されたり、明らかに劣っている対案を部下に持ち出された際、それに表情を変えず、穏やかで、声を荒げないようにいることというのは、非常に高度であると思う。人間、ありのあまでありたい、と思いつつそんなこと、1ミリも外に出せない世界に住んでいる。だから、「ありのままで~」というテーマは流行するのだ。皆、ありのままであれたらどんなにすばらしいか。しかしそんなことをやったら、ハラスメントだらけの世の中になるのがオチである。

自分がされたら嫌なことを、人にしなかったら世の中渡っていけるよ。そう皆言うが、自分にされてもいいことを、人にしたら迷惑になるかもしれないのだ。じゃあ、何をすればいいの、ということで、社会における自分の行動の選択は、かなり制限があるという評価をしている。

社会常識の変化のようなものに対して敏感であり、コンプライアンス違反のようなことに巻き込まれないことこそ、全てに先んじて優先しなければいけない。ありのままなんて、自分の心の中だけに留め置き、最低限のコンセンサスは守り続けなければいけない。少しでも踏み外した人は失敗の烙印を押され、しばらくの排除なり左遷なりを経験するように、なっている。

そう考えると、なかなか、人の前で話したり行動したりするのって、リスクはあるし勇気もいるしで、高いレベルで対応していかなきゃいけないよね、と思う。