orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

自分に対する評価を最大化するために考えること

 

「誰にでもやさしく」と言うと、人格や道徳の話かと思いきや、会社の話をしたい。

 

会社における自分に対する評価はどうやって決まるか。

・自分の知識

・自分の実績

・自分の責任

全て自分本位で決まる。人々はそう思いがちである。これを自己評価と呼ぶ。

一方で、会社から与えられた評価、これを会社評価と呼ぶ。

自己評価と会社評価のギャップで、会社評価の方が低いと、「私は不遇である」という認識になる。ギャップが大きければ大きいほど、会社に対して不満を露わにしたり、辞職する可能性が高くなる。

自分が不遇であることを、周りに撒き散らすことが有害であることは、これは論じるまでもない。周りが雰囲気として影響されたり、その対応そのものがストレスになったり、会議が正常に流れなかったり。いいことは何もない。

自己評価が高すぎる社員をどう対処するか。

管理職が、その社員に対する会社評価がどれだけ公正であるかを説明しなければいけない。納得できるかはともかく、提示をする。そこで、反論があるならば上司は一度聴く必要がある。

そこからが難しい。聴いたところで、会社の評価を修正することはまずないからだ。おいおい、君、その認識が間違ってるよ、という話になるのが前提となる。

管理職はこのとき、社員から見ると会社そのものになるので、高い自己評価自体を否定してかかる会社を、ブラック会社と決めつけ、SNSなどで外部に不満を垂れ流す・・まで、世の中あるある・・だ。

 

さて、自己評価が高すぎる人に共通する特性があるように思う。

周りに対して、つんけんした態度を取っているように見受けられることだ。

資格をたくさん取っている。難しいことを知っている。実績もある。なのに会社が自分に責任の高い仕事をしていないのは、自分を使いこなせない会社が悪い。こんなロジックをよく耳にする。

違う。会社の評価がどのようなプロセスで行われるか、正しく認知して頂きたい。

自分の評価は、周りが決める、のである。

周りとは、その人が仕事上で接する全ての人だ。同僚だけではなく、顧客、上司や部下。360度評価のような仕組みの話ではない。どんな仕組みだとしても、結論のベースは周りが発している情報を総和した内容となっている。管理職は、ただただまとめているだけだ。管理職が部下を独裁的に評価していると思ったら大間違いなのである。

だから、直属の上司だけには愛想よく接し、同僚や部下には横柄に対応するような人は、絶対に高い評価は得られない。仮にうまく騙せたとしても、時間の経過とともに周りが不満を発し始める。会社も混乱を放置できなくなり、粛清人事が発動したりするのを、この目で見たことがある。

そう考えると、自己評価を会社評価にできるだけ一致させるためには、周りにできるだけ奉仕する必要がある。身の回りにいる人はすべて評価者だと仮定する。そうしたら、横柄に対応することは不可能ではないか。好き嫌いで対応を変えているみたいな話はもはや、戦略的には下の下。仕事における結果の出し方として誤っている。

自己研鑽で会社評価を上げ、もっと出世を、もっと収入をと思っている方には「誰にでもやさしく」という言葉を薦めたい。誰にでもやさしくすることで、会社評価の面積は最大化される、というシンプルな仕組みである。そこに本来の自分の実力が存在すれば、結果として努力が現実に反映される。

確かに、誰にもやさしくはするけど、自分の実力がなければ、やさしくできない。たくさんのことをやってしまうと手出しができなくなり「すいません、できません・・」を連発していたら、やさしくないものね。

過去、何人か、実力があるのに不遇な人を知っている。もったいないな、と思う。せっかく仕事するなら、仕事として、誰にでもやさしくすればいいだけなのにね。