orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

人は、人の心がわからないまま、わかったような振りをしているから

 

人は皆、それぞれ心を持っていて、考えた上で正しい行動を選んでいるはずなのに、なぜあの人はあんな、誤った行動をしてしまうのだろう。この疑問は常に思っていた。もしかしたら他人から見て私も思われたこともあるのだろうけど。

あまりにも理解ができないと、あの人と付き合うと嫌な気分になるから、避けよう、ということになる。そうやって色んな調整をして、普段の社会が出来上がっている。調整くらいではどうにもならないのであれば、転職したり引っ越ししたりして、多少の異世界転生モノの気分を味わうことができるように設計されているのは面白い。人間、よほど悪い事をしない限りは違う場所でやり直すことができる。

ただ、引っ越しだの転職だのを何度も行っていると、無駄も多いので、人は中々動かない。ある程度の妥協をしながら生きている。嫌な人はいても、できるだけ距離を取ったり、当たり障りのない応対をしていれば、ほとんどのことは逃げられる。

そうやって、たくさんの人がいる世に居場所を作り、穏やかに生活ができるようにする。ふと思う、とは言え、隣の人は何を思っているんだろう、考えているんだろう、って。

あまりにも最適化し過ぎると、特定の人の心しか聞こえなくなるのである。テレビやネットの有名人の数なんてたかが知れている。Twitterは面白いけど、それでも偏りがある。もともとエコーチェンバーなんて言葉もあり、自分の好む価値観の人を周りに集めてしまう。で、テレビに出るクラスの有名人は、あらゆる価値観の人が認知した存在のため、いざイメージダウンになるような不祥事をすっぱ抜かれると、360度から責められることになる。私の世界に入り込まないで!と。そういうことを見ていると、有名税なんて支払うだけ損だ、なんて思うのは私だけか。

 

この1年くらい、私はよく競馬場に遊びに行っている。コロナ禍も終息に向かい、たくさんの人々が訪れるようになった。結構グループで訪れている人もいて、かつ色んな世代がいるのである。下は20代から上は80代?まで。それぞれまた、おしゃべりをしているのが聴こえてくる。声の大きさから人づきあいの雰囲気まで、様々な種類がある。

いつもは家にいて家族がいて、会社があって同僚やお客様がいる。この往復の通勤では人々は皆押し黙っているので、計算すると、普段の身の回りにいる人の少ないこと。それと比べると、競馬場にはたくさんの人がいる。ファッションから会話の方法まで、それはもう行く度に、感心させられる。人が何を考えているか、どう行動するかは、無限大に種類がある。そのほんの一部分が垣間見えるのが、とても楽しい。

競馬場に行って、誰かと友達になることもなく、二度と会うこともない群衆と、大量にすれ違うことができる。一日の間。

自分がどうあるのか、他人がどうあるのか。普段の家や会社ではない、限りなく大きなサンプルを手に入れることができる場所となっている。

私自身、たくさんの人と会ってコネクションを作るのが上手でもないので、競馬場で勉強しているという話だ。

 

この社会を生き抜くということは、あたかも何かのスキルを得たらいいような誤解を世間は与えがちだが、結局はいかに人間を知るかということにつきるのではないかという仮説を持っている。人を評価するのは人だから、あらゆる人を知ることで、自らの行動に幅を持たせた対応ができるようになると思うのだ。同じ要求をされても、みんな同じ対応をしていてはいけない。高い技術を持っていたって、特定の誰かのためにならなければ価値を持たない。だから、人を観察することは、高い技術を身に付けることと両輪ではないか、なんて思いながら、競馬を楽しみながらも、毎回人間観察をしている次第である。