orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

将来の不安が自分の心を暗くするときに考えること

 

将来が不安か、と考えると実際不安要素はある。

もうすぐ50代が目の前にあり、少なくとも60歳までは第一線で仕事をするだろうから、都合10年をどう乗り切るか、ということをたまに考える。

しかし、この数年を考えるとどうか。突然のコロナ禍。フルリモートの日々。マスクが手放せなかった外出。あんなことが起こるなんて思わなかったし、期間も長かった。そして今年になって急に明けた感じがあり、世の中が躍動しているのを感じる。ずっと夜で空は真っ暗だったのが、徐々に明るくなりそして日が出て来たような空気だ。ここから2019年より前の世界に戻るのかというと、またそれは違っていて、落としどころを皆で探っている。そんな2023年6月。

数年前、急にそんな大イベントが始まり、そして、ぐだぐだのまま終わるこの世界において、ここから10年を予想するのは何だか意味がないのかもしれないな、と思ってもいいのかもしれないな、と最近考える。

いわゆる、取り越し苦労。

今は、少子化の話をするのが皆好きだけど、これまでも社会問題はいろいろ出てきては、**解決されないまま**皆感心を失っていくということを繰り返してきた。

解決されないのに社会は続くという、不思議な現象を何度も見るにつけ、もともと問題意識そのものが必要だったのかな、とも振り返って思う。

不要なことに心をわずらわせるより、今現在から1年先ぐらいまでを気にするだけでいいんじゃないかな。それから先の話は、意識的に考えない。1年を10回やれば、10年後には強制的になるのだから。目の前の問題を片づけないで、10年後の話を思い浮かべても、全く持って、必要のない思考である、そういえば。

もしくは、単に私自身が心配性なだけかもしれない。あらゆる未来の選択肢を頭の中で整理しておかないと、想定外のことが起きて困ってしまうんじゃないか、って。性格的に、先のことをいろいろと考えるタイプだ。

でも、やっぱり社会人を25年ほどやって思うのは、99%の心配は取り越し苦労。ああ、あれ心配だから何とかしたいな、なんて通勤時に悩みながら会社に行ったら、別のもっと緊急性のある課題が生まれていて、雑事に追われているうちに一日が終わってしまうことが最近はほぼ毎日だ。

忙しさに飲まれているから、というのもあるが、そんな先のことを考えたところで、自分には無力なのかもな。もし暇で暇でしょうがないのなら、考えてもいいかもしれないが、今は暇じゃない。せめて、休みのときくらいは、杞憂のようなことを考えることを意識的にやめたほうがいいなと思っている。どうせ先のことなんてわからないんだから。それより今日明日のことをがんばろうか。今日明日が休みなら、先のことを考えずしっかり遊ぼうか。

今回はなぜ、将来のことを思い悩むのをやめたいと書いているかというと、今週、来年の計画を立てたからだ。少なくとも来年まではこの計画通り進むだろう。ただ、再来年はどうなんだろう・・厳しいんじゃないか、といつも暗くなる。けど、また来年に、再来年のことを考えるとなんとかなるのだろう。毎年、来年を乗り越えようとがんばって乗り越えられているんだから、そろそろ自信を持っていいんじゃないかな、なんて自分の将来に対して、無責任に思う。

まあね、最悪の最悪の最悪、計画が達成できなかったとしたって、それでもどうにかなるだろう。サラリーマンだし。今から将来につながるルートに、いくつか分かれ道があるとして、それぞれの景色を思い浮かべておくことは、将来慌てないためには必要かもしれない。でも、ほとんどが選ばないか、もともとそんな道はない可能性も高いし、心をすり減らすのはほどほどにした方がいい。それより、目の前の、いや足元の石に転ばないように歩くことの方がよっぽど大事だな、と自分を落ち着けるのである。