orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

現代の子育てに関して、親としての率直な感想

 

私の子はもう成人してるから、「子育ての感想」なんて話をしても、いいよね。

 

anond.hatelabo.jp

このツイートを思い出したんだけど、要するに昔の子育ては「育てばいい」だったのが、今は「他の子より優秀に育たないと困る」のが根本だと思う。

 

この指摘、すっっごくわかる。

なぜこんなことになってしまったかというと、我が幼少期まで話は遡る。

40年前くらいの日本。

私は田舎の公立小中学校育ちだ。

小学校までは、牧歌的な感じだった。誰がどんな成績かなんて知らなかった。テストの点数、私はとても良かったんだけど、周りは全然関心がなかった。むしろ、スポーツができるとか、明るいとか、リーダー格だとかクラスの人気ものだとか、目に見えるパラメーターを基準としていた。だから、どんな人も個性があって、秀でたことがあればいいよね、ぐらいの世界観だった。

風向きが変わったのが中学校から。中間試験、期末試験があり、その試験の結果に同学年における順位が明記された。どうもその順番が同級生たちの格付けに強く影響していた。私の学校では順位を掲示板に張り出すようなことは無かったけれど、上位10名は誰、のような情報は口コミで広がった。

まだ、スポーツができたり芸術ができたり、など、国数社理英以外のアピールポイントがある人は個性が認められたけど、何も取り柄がない人は軽く扱われた。成績が低い人ももちろんだが、平均ばかりの人も、苦労してそうだった。

そして、高校受験の時に、それが見える化する。選別されて進路先が決まって行ってしまう。みんな、同じ校舎で育った仲間なのに、否応なく選別されていく。

今の親たちは、自分の子供時代の景色に強く影響を受けている。社会を生きていくためには、同世代の中で際立つ特徴を持っていないと、とてもとても苦労するのを身に染みて知っている。

 

でも現代社会、少なくとも日本の多数派の中には、「今の子供世代は、上位1~3割に入るくらい優秀に育たないと不幸になる」っていう恐怖感が蔓延していて、他人に育児の一部をゆだねるなんて怖くてできなくなってる。他の家族は協力する相手じゃなくてライバル。身体は闘争を求める。

 

この恐怖感は、伝聞からじゃない。人々の幼少期から実際にそれを見てきているから、自分の子に嫌な目にあってほしくない、というのはとても自然なことだと思う。

私の子育ての場合。この話は重々承知していて、我が子の幼少期にはさてどうしたものかと思った。日本の教育における一般的な、普通科→四年制大学、みたいな路線で、本当に上位に入れるか。じっくり様子を見て長い時間考えて、どうにも確信が持てなかったので、あえて子供には芸術系の道を薦めた。それは結果的に大成功だった。世間一般的にメジャーな進路ではなかったので、親も子どもも苦労は多かったけれど。ただ、やはり、結果を見ている限り、適性のあるフィールドで戦うことは大事だと思う。

子どもが主体的に自分の進路を決めることは大事だけど、子どもが自分の適性を自分自身で把握し、世の中で様々ある進路のうち、適切なルートを選ぶことは至難の業だ。

だから、親の役目として、以下を踏まえたい。

・子どもの適性について、幼少期からデータを取り、解像度を上げる
・世間における進路の多様性を踏まえ、どんな道があるのかを頭に入れ、選択するときに子どもへ情報提供できるようにする
・「あたりまえ」にこだわらない、たくさんの人が通る進路に対し適性がない子どももいる

この話。どこまで行っても・・・

 

「自分の子供も他の子と同じ育ち方でいいよ、生物として無事に成体になれば十分」

 

と言う話には決してならない。選べるなら上位1~3割へ押し上げたい。ただ、生まれた直後はどの進路がそのルートにつながっているかわからない。だから、今の親は、子どもと一緒に戦う必要がある。

一方で、戦った結果、上位1~3割につながっていなかったとしても、親も含めて子どもも努力したのだから、その次に考えればいい。人生はどこまでも戦いの連続なので、巻き返すチャンスはいくらでもあるのだから。