orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

知らない間に古くなっていく自分、散歩の途中で気が付いた

 

ゴールデンウィークのある日に、渋谷から原宿、国立競技場、四谷を通過して、九段下、大手町と歩いてきた。全体で12キロくらいの道のり。とても天気が良くて、それなのに温度はそこそこで、とても気持ちが良かった。

コロナ禍で長い間、家に閉じこもっていたのもあって、東京は随分その見た目を変えている。私が思っている東京の絵は、きっと古かった。どんどん再開発されて大きなビルがたくさんできているし、入っている企業群も様変わりしている。世の中は自分が知らない間にパラレルに進んでいて、その変化についてはネットニュースをかじりながら想像していただけだ。ネットのニュースなんてほんの少しの情報に過ぎない。現実をカバーできるような量じゃない。

全てを、ほとんど把握できないまま時は過ぎ、自分の経験は日に日に古くなっていく。

それなのに「私は経験がある」と言い張って、会社では重要な判断を独断するのだが、その根拠となる情報は、このように過去の記憶の中から引き出されたものなのかもしれない。

昔のままの建物も残っているし、地形は変わっていないので、なんとなく人々と話は通じてしまうが、現在と私の中の記憶は日に日にズレていく。

新しめの記憶すら、コロナ禍前の3年前だったりして、今、を書き換えないといけない作業は、どんな人々にも必須であると思う。昔あったアレは、もうないかもよ。

 

自分の過去を思い出し、そして現場だった場所をつらつら歩いて、そして公園に入り、ベンチに座る。休憩しながら考えた。

 

 

もちろん、今の方が優れた判断はできる。でも、リスクに向かっていく行動力は若い頃の方があっただろう、無知なだけに。無知だからこそできることはある。そして案の定失敗し、痛い思いをしたおかげで、今、そこまで大きな失敗はしない。どうすれば成功するかもなんとなくわかっている。経験とは素晴らしい。

でも、その経験すらもまた、古くなっていく。経験を積んだからこそつかんだ情報も、その経験の舞台はもう現実のここにはないんだな、なんて散歩しながら思った。ここにはないもので起こった事実は、現実で果たして再現するのかと言われると、自信はない。するかもしれないし、しないかもしれない。昔、ここでそういうことはあった、と弱弱しく答えるだけである。

少なくとも、こうやって「今の街」を歩いて、今あるものを見直すとわかる、私にだけしかわからない差分。昔はここはこうだったのに、今はこうなっている。もしくはその逆。昔もあって今もある。そんな間違い探しを、たまにやるべきなんだろうね。経験を得たシニアは特に。

会社においても。もし、現場の仕事を完全に上がって、過去の記憶だけで現場の仕事をまわしている立場にいるなら、今の最新のバージョンを、手を動かして知るべきなんだろう。きっと少し、違ってる。少しの違いが積み重なると、思っているものと随分変わってくるので気を付けた方がいい。それは知っているとは言えない、むしろ、「頭が固い」と言われる根拠にすらなる。

そうやって、人間、古くなるんだな。気を付けなきゃな。と体感できた散歩であった。