orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

技術力があるはずなのに仕事ができないの何故

 

仕事の依頼をしたら、依頼とは全く別の方向のことをやりだした。そんな話を複数回聴いたことがある。でも、本人は技術の資格を持っていて、技術力がないわけじゃない。なぜそんなことが起こるのだろうか。

原因はかなりシンプルで、指示した内容を理解していないからだ。理解できるためには二つの能力が必要だ。一つは技術力、もう一つは理解力だ。理解力がないのだ。指示した内容は日本語で表現されているので、日本語ができればいいはずだ。本人も日本人だから、理解力に問題があるはずはない。

いや、これは違っていて、理解力は人によってかなりばらつきがある。

同じ依頼内容なのに、結果が人によってえらく違う場合がある。依頼主のやって欲しかった期待以上のことを返して、依頼主をいい意味で裏切り小躍りさせてしまうような人もいる。理解力が上振れていると、二人、同じ技術力の評価なのに、結果がこんなに違うのか、ということが起こりえる。

仕事の依頼をする人も、相手が理解してくれない場合に、もしかしたら依頼の仕方が悪いかもしれないと工夫はするのだが、そもそも依頼主に気を遣わせるレベルの理解力では、できる仕事の幅もぐんと狭まるのである。

 

理解力。どのように身に付ければいいのか。

実は学生の時の「国語」にかなり依存するのであるが、国語の勉強をしっかりやることというのは社会人になってからは取り戻せない気がする。

私も、国語、特に現代文は学生の頃は大得意だった。そもそも日本語なんだから、読めば答えが書いてあるよね、と。論説文は特に得意だった。小説文はたまに正答と自分の解釈が違うことがあったんだけど、あれは性格や人生観の問題だったかな。とりあえず、あまり勉強しなくても高得点が取れた記憶だ。

なぜ勉強しなくても高得点が取れたのか。私の記憶を呼び戻すと、勉強以外で、日本語にたくさん触れていたと思う。そもそもテレビを多く見ていた。お笑い、ドラマ、ニュース、「テレビばっかり見てるとアホになるよ」と言われたものだけど、あれは日本語のトレーニングだったな。特にヒアリングについては。

また、裕福な家ではなかったが、家の中に古い小説がたくさんあって、暇つぶしにたくさん読んでいた。娯楽小説が多かったので小学生でも読めてしまったが、小学生の段階で小説をたくさん読むのは良かった。

後、マンガ。マンガも、小学生の頃は毎月コロコロコミック。中学生からはサンデーやビックコミックスピリッツを読み始めたが、かなりマンガを読んでいた。読み繰り返していた。暇だったから。スマホもインターネットもない。だから、既読のマンガを読み返し読み返ししてボロボロにしていた。

そんなこんなで、幼少期に、たくさん日本語に触れていた。勉強したいと思ったわけじゃなく、単に、暇が嫌いだっただけだが。

私は、結果的に、理解力が強くて社会人になって得をした、と思う。技術力については、もっとできる人がほかにもいるはずだ。

 

だから、もし社会人になって仕事ができたい、でも結果が出ない。その原因が理解力にあるのなら、技術力を上げる努力、もいいんだけど、理解力を上げることもがんばったほうがいいかもしれない。

そのためには、やっぱり上で上げたような、日本語を絡めた娯楽をたくさん浴びるのが良いと思う。最近のゲームはビジュアル表現が多くて日本語があまり出てこない。それより、マンガでもドラマでも、お笑いでもなんでもいいけど、言葉が大事だ。言葉を大事にすること。そうだ、このブログを毎日読むってのもいいかもしれないね。

言葉を深く理解できるようになれば、プライベートも含めていいことしかないと思う。