orangeitems’s diary

クラウドで働くインフラエンジニアの日々の感想です(ほぼ毎日更新)。

ほとんどは国語の問題である

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今日仕事して思ったのだが、最近の私の仕事におけるアドバンテージは、日本語能力、つまり国語の能力にかなり依存している。

それぐらい、関わる人々の日本語の力は頼りない。みんな日本人だが、日本語がおかしい。ある状況に対して、それを言葉にしデジタルの中で表現し相手に伝える。

誰でもできそうなことだが、意外と人を選ぶ。同じ事象でも人によって書きっぷりが全然違う。

人によっては、理解をしているにも関わらず、それを言葉にするときに誤解を生むような表現は文の組み立てをしてしまう。もしくは、その状況の中で用いられている言葉を読み違い、違う理解をしてしまう人もいる。どちらにしろコミュニケーションの途中で意味を大きくゆがめてしまう。

この状況で、日本語能力があると何ができるかというと、ゆがんだ文章に対して実はこんなことをいいたいんじゃないかと類推する。もしくは、内容を咀嚼し、わかりやすく言い返してあげる。これは思いのほか喜ばれる。そうか、私はこんなことを理解し伝えたかったのか、と。繰り返していくと、まるで通訳のようになる。

本来はITの技術的な話なのだけれど、それ以前に意味を関係者で正しく共有し、そこから新しい未来の話をしていくというプロセスでつまづく例は多い。往々にしてどうなるかというと、会議が増える。日本語能力の中でも顔を突き合せた(今ではWeb会議だが)場合は、表情やイントネーションが使える。また相槌も聴くことができるので、文章を書くよりも好む人は随分多い。

そういう人たちのペースにはまると、途端に会議地獄になる。権力のある決定権を持つ人がたまたまそのようなタイプだと、組織の生産性はみるみる下がる。

私は、相手が誰であろうとも、無駄な会議は極力避けたいので、ビジネスチャットや課題管理システムなど、文字でのやりとりを原則としている。相手の日本語能力が悪いために課題が解決できないことが、証拠として残るからだ。そして、こちらが日本語の読解に対して全力を尽くしていることを残せば、基本的に、ほとんどの会議はいらなくなる、と思う。

特に相手に、正しい日本語を強いるわけではなく、歪んだ内容についてこちらでわかりやすくしてあげることで、相手は物事を言いやすくなる。この人になら伝わる、という信頼さえ勝ち取れば、たどたどしくても話してくれる。その積み重ねを履歴として残すことで信頼と実績を勝ち取れる。

理解が浅いのに、言葉にしがちな人もいる。もっと理解するのを待って慎重に発言すればいいものを、文脈を読めず浅はかに理解ししかもそれを言葉にしてしまう。いや、理解するまでは言葉を発する必要はない。理解に勤めよ。常に正しく状況を表現しよう。これを繰り返さないといつまでも、言葉尻を捕まえられては、注意を受けてしまうキャラクターになってしまう。

勉強のことを、本を読んだり機械を触ったりすることだと考える人は多い。しかし、知識は表現できなければ、仕事では価値を持たない。そこで必要なのが日本語の問題なのだ。お客様が日本語能力を十分に持っていないかもしれない。その場合は、文脈を読み状況を把握し、お客様にわかる言葉で表現できなければいけない。これができないと、「あなたの言っていることは全然理解できない」とお客様から三下り半を付けられてしまうのだ。

コミュニケーション能力、と言う言葉がありこれに置き換えられることが多いテーマだが、ちょっと私の感覚とはずれていて、どちらかといえば中学や高校の現代文の試験に近い。雑な文から真実を読み取ったり、難しいことを簡単に表現する。その一連の能力が実は仕事で一番使う能力だと感じる。そこに資格試験や業務経験などで理屈を積み重ねると、かなり社会では活躍できるのではないか、と思っている。まあ参考書も読むにも仕事をするにも国語が必要なのだが。

ほとんどは国語の問題である。