orangeitems’s diary

クラウドで働くインフラエンジニアの日々の感想です(ほぼ毎日更新)。

盲点となりがちな国語力

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学生のころを思い出して思うのですが、国語、高校のときは現代文と言われていたものがありました。論説と小説に分かれていたものでしたが、この教科について、テストを行うと100点もいれば低い点もあるという状況を記憶しています。

単に成績がいい、悪い、という話は学生のときに終わりですが、この国語力って日本に住んでいる限りは全てにおいて使われると思うのです。Twitterでも日本語だし、メディアニュースも日本語で書いてある。そして、国語以外の勉強をしようとしても、そのテキストは日本語ですから、国語力が使われることになります。

国語力が不足している人は、ニュースを読んでもTwitterを読んでもテキストを読んでも、はたまた人と会話をしていても、何を読み取るか、感じるかについて不足や誤解が生じます。当たり前の話ですが、世間の人々の間で随分国語力には差があって、同じ内容なのに、意味の読み取り方は随分差があるのではないかと思う次第です。

例えば、昨日今日行われた箱根駅伝、テレビ中継をほとんどみていましたが、沿道の応援が塊のようになっていましたね!。にもかかわらずテレビ中継では「沿道での応援はお控えください」と赤字で目立つように書かれ、アナウンサーも注意していましたよね。にもかかわらず、現実は人混みの連続が放映され続けていたという始末でした。

これ、日本語の意味「沿道の応援を控える」の意味が分からなかった人も、残念ながら数割は含まれていると考えたほうが良いと思っています。沿道って何?というレベル。このブログをお読みの人にはいらっしゃらないと思いますが、そういった国語力のゾーンに位置する人々も絶対にいるということを踏まえた方が良い、と思っています。

もう一つは「沿道の応援を控える」のが新型コロナウイルス感染拡大を抑えるための方策だということは理解できても、自分は当てはまらない。なぜならば、外にいるからだ。3密に当てはまらない。マスクもしている。だから「沿道の応援を控える」必要はないという読み方です。

国語で言えば、下線部「沿道の応援を控える」について、そうしなければいけない理由を記せ。という問題のようなものです。ここで解釈を間違えてしまう。下線部自体の意味は分かっているのですが、その理由を指し示す部分についての理解力がないと、理由がわからないのです。これは、感染拡大のニュースを興味深く聞いていたり、分科会の発言を理解している人には、沿道の応援なんて!と思うでしょうが、そうじゃない人には伝わらないということです。

新型コロナのニュースって、結構専門的な記事になると、理解するのが大変だと思いませんか?。まずは国語力がベースにあり、その上で専門的な知識を学んでいかないと理由までたどり着けないのです。

このように、人々が同じニュースや記事を目にしているはずなのに、行動が分化してしまうのは国語力の差だという分析をしています。

Twitterが短文なので国語力が貧しい人にも感覚的にわかりやすいツイートが産みやすいこと、また写真やマンガ、動画などで言語を使わない伝達手段としても使えること。TikTokやInstagramなどは動画や写真中心なこと。人間にはいろんなゾーンの種類がいるので、よりバズりやすいのは「国語力がなくてもわかりやすい表現」であることであることは傾向からも理解できます。

国語力で、同じものを見ているはずなのに、人によって違う情報を受け取っているとしたら怖さを感じませんか。人によっては白なのに黒と感じてしまうかもしれない。百のことが書いてあるのに十しか読み取っていないかもしれない。

そう考えると、学校を卒業しても国語は学び続けないといけないですが、残念ながら国語についての生涯教育は存在しません。であれば、たくさん論説や小説を読んだり、もしくはテレビニュースなどの国語を聴いて訓練したほうがより良いです。普段の生活のなかで国語を軽視していないか確認すべきです。

もし、より、国語を用いない表現ばかりに気を削がれているのであれば、どこかで国語力を上げる習慣を身に着けないと、いざ何かを学ぼうとするときにボトルネックとなってしまうのではないでしょうか。