これ面白い話ですよね。
米CNBCは25日、アマゾン・ドット・コムのウェブサイト上で、対話型AI(人工知能)サービス「チャットGPT」によって書かれたと見られるレビューが複数見つかったと報じた。レビューの信頼性低下につながる恐れがある。
Twitterもそうだけど、短文のテキストはネットにあふれています。
それらって、人間が書いているから、情報としてブランドを保てていたんですよね。口コミってそういうことでしょ。誰か知らないけど、他人が実際に感じて思ったことって、自分の代わりの体験として時間の節約になると。
BOTが大量発生したのが問題になったのは、人間のテキストが埋もれて見えにくくなるから、と言う話もありましたよね。
でも、今回、AIが、適当ぶっこいてテキスト作って、しかもそれが、指示した人のテキストに操られているとしたら、やっぱりこれって、なあんの価値もないですよ。
無価値のものが、ネットにあふれまくるってことは、これはぼーっとネットを見てると無価値な情報に判断を飲み込まれてしまうということになりますね。
以前ツイッターの認証マークが話題になったけど、これは人が書いたんだよ、っていう「人認証」みたいなマークが必要になるんじゃないかしら。
ちなみに、このブログは、100%人間が書いてます。私がね。
私と言う知能が、延々とテキストを書きまくるこの遊び。きっと、毎日、生きているからこそ新しい記事ができていくんですね。まさに、ブログです。
仮に、私のブログを全部機械学習して、そしてブログ記事を書かせると、きっと私っぽいことを言うAIができあがるんだろうな。ただ、それって過去の私です。過去の私の過去の経験が書かせるテキストは、今私がこうやって書いている未来のテキストにはかなわないんですね。
後は、過去から、環境の変化を通じて、現在までどのように意見が変化してきたかも観察できます。私も良く覚えていませんが、過去書いた記事においては、全く違う結論を置いたことも多分あるはずです。
今日、正しいと思うことを書いていますので、来年同じことを正しいと思っているかはわかりません。社会だって、答えをガラリと変えることもありますからね。
こうやって、人間がテキストを生み出すサイトをやっておりますが、無価値なテキストがネットを覆うたびに、このブログって価値が上がって行くわけですよ。なぜなら、完全に人間が書いたテキストがここにあるので。
だから他の人々がAIで、テキストを生み出すのに対して楽をし始めるというのなら、私は自分の作文能力を更に高めて、人間が物を書くということの価値を突き詰めてみようかなと思っています。
あれですね、大量生産品と、職人が作り上げた一品もの、と似ています。
電子音楽の打ち込みと、アコースティックプレーとか。
前者も無くならないけど、後者も無くならないです。
両方あっていいんです。
また今日も、楽しく作文をします。