orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

読解力が重要な時代が近づいている、なぜなら

 

このブログも日本語で書かれた文がつらつらと書かれているわけだが、いったいどのくらいの人に全体の主旨が正確に伝わっているのだろうか。それは私の作文力も大いに関係していると思うが、それが一定の水準に達しているとすれば、読解力に大きく左右されるだろう。もしかしたら、赤色!って叫んでいるのに、青色!?みたいな誤解すらあるのかもしれない。日本人が日本語の文を読んだとして、正確に伝わる保障はないし、例えば名著があるとしても、読解力がない人が読んだら薬どころか毒にもなってしまうのである。

さて、そもそもが読解力はもともと重要だったのだが、今後更に重要となる。なぜかというと、テキスト無限生成装置のAIが完成しつつあるからだ。しかもそのAIの日本語としての品質がかなりのものであるから大変な話題になっている。今の問題はその文章作成能力より、倫理性が担保されるか、セキュリティーの問題はないか、など高次の話になっている。自動運転技術が、実験場では成功していながらなかなか世の中に出てこないように、AIも良くわからない議論で、しばらくの間、足踏みするかもしれない。

そのよくわからない議論を乗り越え、人々にAIが降り注ぐとき、一つ確かなことがある。人間の著作物に交じってAIの著作物が入り込んできて、しかもその量が大量であろうと推測されることだ。

AIが出力したことには今のところ間違いが多くて、皆で教育して賢くしていこう、みたいなフェーズに今あると思うが、ここから成長しおそらく、仕事に使えるレベルで日本語が生成できるようになる。

そうすると、人間が書いたのかAIが書いたのか区別がつかないテキストが氾濫する。機械がやる分、質より量の問題が先に取りざたされるはずだ。割と質の良いテキストが、ものすごく流通するようになり、かなりの割合がAIが関わっていることになる。

そのとき、量が各段に増えたとき、読むのは誰か。人間である。人間がその質の良いテキストを見て、勉強になったり、発見したり、刺激になったりする。するのだが、残念ながら、読解力のない人が今以上に大量のテキストを与えられたら、きっと、もっと何も伝わらなくなる。

たくさんの量を理解し頭の中で処理する、これは情報処理能力、と呼ばれるが、その入り口に位置する機能が、読解力だと思う。読解力がないと情報処理するときに間違える。データを頭にインプットするときに本来の意味をゆがめてしまう。

AIで便利になるね、はいいのだが、その結果何が起きるかというと、ますます読解力が必要になるため、ストレートに、これが役に立つと感じる人は思ったより少なくなると思う。結構なボリュームの人が「インターネットには情報量が多くなり過ぎて把握できない」となると思う。

動画メディアなど、字を読まなくてもいい人でも吸収できるタイプの作品が今でも増えたが、動画の枠で入る情報の量じゃなくなっていくと思う。動画に埋め込める情報は、文章を読むよりもぐっと少ない。特にテキスト情報についてはそう言いきれる。

今後、テキストが氾濫する時代において、ライティングの能力自体はかなりChatGPTに補われる気はするが、リーディング、読むことについては結局は人間の能力に左右される。ChatGPTは正しいことを言っているのに、人間がそれを正しく解釈できない、とすれば何のためのAIか。

AIが世間に浸透するチェックポイントとなりそうな今年において、今一度読解力をつけることの大事さを噛みしめたいものだ。