orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

選ばれて採用されるのではなく、仕方なくやらざるをえなくなるケースが増える

 

人口減である。

一方で社会の枠組みは、維持されやすく、ポストの数は変わらない。

そうなると、「1つのポストに対して、たくさんの人が立候補し、その中から選抜して最も良い人がなり手となる」、という方法論が成り立たなくなる。

誰もなり手がいないが、それでも誰かやらないといけない。

地方議会で表面化し始めている。

 

www.asahi.com

地方議会で「無投票」の増加が止まらない。朝日新聞が全国の全ての地方議会にアンケートしたところ、直近の選挙が無投票だった地方議会は271(15・2%)あり、4年前より37(2・1ポイント)、8年前より65(3・6ポイント)増えていた。このうち18市町村では、候補者数が選挙定数に満たない「定数割れ」の事態も起きた。議員のなり手不足が一層深刻化している。

 

政治の世界では、「選挙に言っても選択肢がない、能力のある人がいない」みたいな嘆きをする人がネットで多いが、それは全くおかしな話で、それなら言う人自身が立候補しなり手になるべきである。基本的には誰にでも被選挙権はあるのだから。

いや、自分には自分の役割があるから・・と選ばれそうになると逃げるというのは、どんな集まりでもよく見られる景色だ。能力があるということと、なりたい、は全く別物である。

人がうじゃうじゃいた団塊世代のころはまだ機能していた。選抜制度。手を挙げないと埋没してしまう時代。むしろ何にもなれないかもしれない時代。

今や、なり手の奪い合いのようなことが起きている。人がいないというより、その役割ができる人、が不足し始めている。採用をかけてもちっとも反応がないのは、きっとどこかに奪われているのだと思う。最近は人を取りすぎて放出しているとは聴いているが、それも一時的なものなのかもしれない。最近は数日単位でがらっと状況が変わるからね。

人には職業選択の自由がある。だから皆「なりたい」に向かうのだが、社会を維持する上では誰かがやらないといけないポストが存在する。それすらも充足できていた昔。そして今や、ネットを通じて情報を共有するので、なり手が見つけにくい仕事には、誰も見向きもしなくなった。その上で、「選挙で選べる選択肢がない」というのは、ちょっと政治家も気の毒だと思う。誰かがやらなければいけない、ということで立っている人もいるだろう、この状況では。

会社の人選にしても、似たようなことが起こっていくのだろう。本来やりたかった仕事ではない役割をアサインされ、歯を食いしばってやり遂げる、のような場面が。

本来そんな仕事をしたくなかった、と言って転職する人が増えるかというと、実は微妙な話で、「人気職業」については手が足りているみたいなことも起こり得る。

結果的には、適性だなんだと言ってられなくなる状況に向かっているのかもしれない。ただただポストが空いていて、ただただ人が無秩序に吸い込まれていく。

過去の競争過多時代から考えるとちょっと別世界さも感じるが、これが不幸なことかというと、実は「何にもなれない」よりはいいのかもと思うこともある。一方で、「なぜあなたがこのポストに?」みたいな、適性無視で単にチャンスがあって就く人も増えそうな気もしていて、社会全体の性能としては劣化、個人としては幸福度が上がる方向にいくのかもね、なんて楽観的な予想もしている。