orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

ブラックな現場で働いていたときの思い出

 

過去、私もブラックな現場、という場所に潜り込んだことはあっていい思い出となっている。客先常駐の醍醐味の一つとしては、すごく環境が悪いところに入り込んだとしても撤退できるということ。これを転職でやっていると、なかなか気苦労が強くなると思う。同じ会社に属しながら、いろんな環境での経験ができるというのは、特に若手の時は経験値を増やせるという意味では悪くはない。

さて、何がブラックだったかというと、中で働いている人たちの感覚がおかしかった。終電ぎりぎりまで働くことが当たり前となっていた。20時くらいに仕事が終わろうものなら「今日は早いな」である。そして現場の彼らは不思議なことに、そこから飲みに行くのである。そして終電間際まで飲んで、そこから家に帰ってまた、8時半には出勤していた。どういう体力をしているのかわからないけどそういう人たちだった。

ブラックな現場、と言っても中の人たちが絶望的な目をしていて、他人に対してネガティブな感情を抱いている、ということはなかった。むしろ、年中一緒にいるので、彼らの中には家族的な感情もあったのではないか。妙に仲が良くて、そのために飲みに行く文化も結構育ってたんじゃないかな、と思った。

ブラックになるのも理由はあって、システム変更作業ができるのが夕方か、土日かしかないということがあった。だから、夕方になるまでは皆ダラダラ準備する。準備がまたブラックな現場だけあって、「どうせ残業でしょ、てきぱきやってもね」みたいな雰囲気があって、生産性のかけらもなかった。なぜか手順書を印刷し、紙で作業をする前提があり、現場は紙だらけだった。あのブラック現場、紙で埋もれてた。使った手順書も永遠に保管するしくみだったが、ビルの一角が紙で埋まっていた。古文書かよ。誰も読まないのにキングファイルに閉じられ放置されていた。

作業や作業の準備に時間をかけてでも、安全にという暗黙の了解があったためか、人間たちは無尽蔵に、非生産的な手順を守りそして長時間労働の祭りへ飛び込んでいく。深夜残業どころか、土日の休日出勤までやっている人たちもいた。隣の部署の人に、ちゃんと休んでます?と聴いたら、もう20連勤ですよ、なんて返ってきたことはザラだった。孫請みたいな立場で働いていたっぽいが、どうも残業代はきちんと払われていないみたいだった。かわいそうに。今考えれば、超絶ブラックということになるね。私はそんなことなかったけど。

そういえばこの時期は、私は残業代が出ない管理職扱いだったので、残業めんどくさ、休日出勤あほらし、というタイプだったので徹底的に生産性向上に取り組んだ。繰り返し作業を見つけては自動化に走った。先方の常駐先も私が考える自動化対応に乗っかってくれたし、現場も楽になるなら、ということで協力してくれた。なので、あらゆる部分で作業がこなれてきて、そしてやらなくてもいいことはやらなくてもよくなった。

ある分解点を超えたあたりで、人々の残業時間もどんどん減っていき、むしろ人が余るようになっていった。

そしてこの後、リーマンショックがやってきて「客先常駐のパートナー一律削減」みたいなことが起きて、あんなに効率化に務めて正常化したと思ったら、人を減らせと。仕事がなきゃ、原資がなきゃ、人数は減らされるのは世の常だが、あれでかなりの人数がいなくなった。というか、私は私で、現場からいなくなることを決めた。ま、多分、自分の仕事が終わったのだと思う。

こうやって考えると、ブラックな現場ですら、効率化しないでくれ、私はこの現場が鋤なんだという人も一定数いる。最近は法律の締め付けも厳しいので、経営者サイドが放置しないかもしれないけど。むしろ脱法的に経営者が放置するか。よくわからない発想でブラック現場は続行してしまう。

私は、もう二度と、巻き込まれたくはないけどね。

案外カラッとしていたんだよ、という過去のブラック体験談でした。