orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

冷笑系新しいもの好き仕草人間になりたくない

 

ChatGPTは有害だとか、問題点があるとか、こういう事件があったとか、日々いろんな記事が絶えないAI界隈だが、個人的に全然違うことで反省を感じている。

「ChatGPT?バリバリ使ってるけど」

なんて声を人から聴いた。

過去、なんとなく情報通というか感度が高い人が、「こんな新しいものがあるんだ、すごいんだよ」と、うんぬんかんぬん語り出すところから始まるストーリー。結構品質がいいぞというニュースもあふれる。そしてある程度ファンが付いたところでだんだん、目に見える限界が現れて、技術としては期待を超えられずそのうち誰も見向きもしなくなって終わるというオチ。こういう状況をたくさん見てきた。そのために、私の中ではだんだんと、いろんな新しいものが出てきても、興味があるフリをしながら、実は脊髄反射的に否定してかかる部分が育ってきている気がした。

でもそれって、失望した経験が多すぎるせいで、新しいものに全て懐疑的に接する態度が固着したということになり、結果的には古い人間になる道を歩んでいることになるのかもしれないな、なんて思った。

新しいものにホイホイ飛びつく仕草までは今でも早いほうだが、仕草だけで、使うこともなく知識だけあって「こんなもんでしょ?」と冷笑するような感じの大人になりつつあるような。

だからこそ誰かの「バリバリ使ってる」には衝撃を受ける。私は実際に使う前に見限ったからね。そして、見限るための情報も今回は多かったように思う。

昔もiPhoneが市場に出てきたときに、「こんなの誰が使うの?」なんて意見もたくさんあった。Webもモバイルに最適化されておらず、アプリも激遅だった。でも私は真っ先に購入して使った。いろいろ不満は多かったけどやっぱり当時としてもかなり革新的なことができて、質問されたら「いいよ、使ってみたら」なんて言ったものだ。私は昔は使う側の人間だったはずだ。

新しいものを実際に使う人の特徴として、問題点やら懸念点やらを語らず、今できることを最大限引き出そうという姿勢がある。そして、新しいことを受け入れるために古いもの、例えばガラケーを簡単に捨てるような決断力がある。しかし長く生きていると、自分の生活習慣が最適化され続けたせいで、新しいものを冷笑的に拒絶するような態度を自分の中に生むのかな、なんて思う。

新しいものを拒絶し続けていると、どんどん最新化された世界と距離ができていって、例えばデジタルディバイド的な、社会に適応できないような世代へ足を突っ込むことになるかと言われれば、それはなるんだろう。新しいことに敏感だと思っていた自分がそこに入っていくのは、かなり避けたい思いが強い。

新しいものに飛びつく仕草、ではなく、実際使ってみて、生活の中に組み込んでみて、うーん違う、これは素晴らしい?、くらいのところまで行ってこそアップデートできる人間でいつまでもいられるのかもしれない。冷笑系新しいもの好き仕草人間にはなりたくない。