ChatGPTに代表される対話型AIがもたらす社会的悪影響のお話。
チャットGPTは米新興企業オープンAIが開発。インターネット上の膨大なデータを学習し、利用者の求めに応じて違和感のない文章を生成する。生産性向上の期待がある一方で、不正確な答えや思考力低下への懸念が指摘されているため、教育現場で活用の在り方を模索している実態が浮かんだ。
答えが不正確かどうかは誰でも調べるとは思うが、思考力低下というあたりが気になった。いつか見た景色、そうだ、子どものころ「テレビをたくさん見ているとアホになりますよ」、「子どものテレビの視聴時間がX時間を超え、悪影響が懸念される」なんて話を大人がしかめっ面で話していたのを思い出した。
テレビはいつしかYouTubeやTikTokなどに変わったし、そしてAIの話まで振って来た。新しいものが出てくると大人が不安になり、子どもがアホになるってのは、どの世代でも同じ図式らしい。
さて、対話型AIに戻るが、おそらく思うに、世の中の人々は、結構な割合で作文が苦手だと思っている、ということなんだと思う。私がブログでこんなに文章を量産するようになって思ったのだが、作文はそんなに難しくない。「作文は難しいよね」というイメージが学校教育で植え付けられ、大人になっても引きずっている人が多い、と言うことなんじゃないかと思う。
もっと言えば、あの学校時代に多用した、原稿用紙。鉛筆。あれがとても経験としてよろしくない。400字詰めでしょう?。たかだか400字書いただけでいっぱい書いた気になってしまうのはイマイチだ。ツイッターが140字だから、3ツイートくらいしたら埋まるのに、紙1枚を費やすので、なんだかすごく大変なことをしているような気分になる。
だいたいあの手書き、というのが生産性悪すぎ。自分が思っている考えているスピードより速く書けないものだから、何考えていたか書いているうちに忘れちゃう。考えるスピードで入力できる、このキーボードとテキスト入力、素敵。文字を詰めたり入れ替えたり推敲したりが簡単。
みんな、作文が苦手なんじゃなく、原稿用紙と手書きが苦手だったんだよ。作文自体はそんなに難しいもんじゃない。
という前提に立つと、ChatGPTにやらせようとしている作文って、実は自分で作文したほうがよっぽどよい品質のものができる。だって人間って、AIより賢いから。後はちょっと作文のトレーニングをすれば、AIに頼らなくたって十分だと私は思う。
そもそも、対話型AIのインパクトって、大量データを読み込んでいるから専門的知識を導き出しやすい、ということだったのに、いつしか自動作文自体が魅力になってない?。作文って人間でもできるよ。
だから、ChatGPTの使いこなしを考えるより、自分の頭の中、自分GPTを学習させて作文能力を向上させた方が、すごく役に立つと思うんだよね。自分GPTは自分専用だし、個人データもちゃんと秘匿してくれる。新しいこともすぐおぼえる。ただAIと同じで、学習しないと昔のことしかアウトプットしなくなるので、新しい体験や学習をすることが重要・・って、ほんとAIと同じやん。
ChatGPTに感動する人は、今一度、自分が作文ができることに感動してほしいと思う。ChatGPTに質問するつもりで自分に質問し、そしてブログに書くみたいに作文してみたらいい。案外、いろいろ書けるよ。それに気づいて、これだけ毎日投稿するようになった、ということである。