orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

全然ジョブ型じゃない、日本のジョブ型

 

この記事を読んで、ああ、また日本の独自解釈が始まったな、と思った。「ジョブ型」の話である。

 

japan.zdnet.com

 ポジションの定義では、約1400のJD(ジョブディスクリプション:職務記述書)を全従業員に公開。これにより、キャリア機会の提供、自己学習の促進、手挙げ制による登用の加速が見込まれる。

 報酬の領域では、年齢や勤続年数に関係なく業務に応じた報酬体系を構築するとともに、市場を鑑みて職種ごとの報酬にも広がりを持たせる。これまで同社は社内の公平性を重視し、職種ごとの報酬は一律だったが、その結果一部の職種や等級では競合他社と比べて報酬が少ないという課題が生じていたという。

 評価では、以前から行っていた1on1ミーティングに手応えを感じていることから、マネージャーと部下の対話を重視。期初ではJDを参考に目標を設定し、期中では高頻度な1on1を実施、期末では成果を報酬に変換する流れだ。マネージャーは部下一人一人の成果を踏まえ、各自の昇給率と賞与額を決定する。

 

これ、結局はどんなジョブを選んだとしても、1on1で計画設定して、途中経過を報告して、それで最後に成果を算定するわけだよね。

以前聞いてたジョブ型とは全然違う。

 

toyokeizai.net

意外に思うかもしれませんが、ジョブ型の社会では、ごく一部の上澄みのエリート層の労働者を除けば、一般労働者には人事査定はないのが当たり前です。人事査定がなくてどうやって管理しているのかと思うかもしれませんが、査定は仕事に就く前の段階でやっています。まずジョブディスクリプション(職務記述書)があるわけです。

そこに書かれている職務をちゃんとやれるかどうかということを判定して職務に就けます。そこで技能水準を判定しているのです。その職務に値札が付いているので、それで賃金が決まります。逆にいうと、職務に就けた後は、よほどのことがない限りいちいち査定しないのがジョブ型の社会です。ここは多くの日本人がまったく正反対に勘違いしているところです。

 

勘違いしたまま、大企業がジョブ型と言って導入しましたとメディアで発表するから、おそらく日本のジョブ型は歪んで進むんだろうなと思った。

やっていることは、ジョブ型ではなく成果主義だ。成果を出すにあたって何を100とし、それに対してできただのできてないだのを、日々の1on1で細かく見ていくのは、なんだかもう、ジョブ型の根本から相当離れているのは間違いない。

あと、下記の件は、おそらく日本のジョブ型は解決できない。

 

これに対してメンバーシップ型の社会は、ジョブ型とは違って、末端労働者に至るまで人事査定があります。これがほかのジョブ型諸国とまったく違う日本の特徴です。ジョブ型の社会でも上澄み層には査定がありますが、その査定、評価は当然のことながら業績評価です。成果の評価です。

ところが、日本では末端労働者まで査定するわけですから、業績評価が簡単にできるわけはありません。しかも、素人を上司や先輩が鍛えながらやっているのを評価するわけですから、個人レベルの業績評価などナンセンスです。そういう末端のヒラ社員まで全員、評価するというメンバーシップ型の社会における評価のシステムは、業績評価よりも、むしろ中心となるのは「能力」評価と情意評価です。

この「能力」評価の「能力」にカギカッコを付けているのは、日本における能力という言葉を外国にそのまま持っていくとまったく意味が通じないからです。能力という言葉は、日本以外では、特定職務の顕在能力以外意味しません。具体的なある職務を遂行する能力のことを意味します。

ところが、日本では、職務遂行能力という非常に紛らわしい、そのまま訳すと、あたかも特定のジョブを遂行する能力であるかのように見える言葉が、まったくそういう意味ではなくて、潜在能力を意味する言葉になっています。それは仕方がありません。末端のヒラ社員まで評価する以上、潜在能力で評価するしかないのです。

 

上記はかなり素晴らしいロジックだと思う。日本独特の新卒一括採用から、二十代の間、実務能力がない中で、先輩から厳しく鍛えられる。そのときに評価されるのは、能力だが、実務能力ではなく、将来の仕事ができうるか、という潜在能力だと言われると、正直言って日本の企業に長く勤めて来た私はぐうの音も出ない。その通りだ。

いくつかの会社の評価制度を見たけれど、そうなっている。若手の内は「能力評価」「情意評価」という項目に対する配点が非常に高い。そしてベテランになっていけば行くほど、売上や利益の結果、業務能力の割合が高くなる。

人がなかなか辞めない、辞めさせることができない、そして定年まで勤めあげるといった終身雇用ならではのこういった人事の考え方、変えないままジョブ型を無理に適用しようとするから、日本のジョブ型がかなり歪んでいく。

そもそも、末端の労働者まで成果を見て行かなければいけないから、頻繁な1on1が必要になるのではないか。本来のジョブ型の定義の通り、評価などせず、ジョブスクリプション通りやってもらって給与は契約した通り。出来なければ辞めてもらうみたいな世界観からすると、もう全然別物である。

頻繁な1on1は管理職を疲弊させる。

ただただ、職域について細かく記述しましたというだけで、結局は1on1をベースとした細かい成果評価を基盤とするならば、「がんばってる」「素質を感じた」「指導者の評価が高い」「将来の仕事をやっている」みたいな話で、うやむやになるに違いない。そういった成果主義の運用を多く見て来た。

「いろいろ人事は言っているけど、君は仕事ができるから、高評価で通すよ。」

と言う言葉が日本の評価制度の根本だと思う。結局は政治的に決まり、評価制度を飛び越えて人の意志が働くのが日本の人事評価だと思う。

どんなに人事が抵抗しても、「現場から社会を動かし」と言っている以上は、現場の発言権が強い。現場が、この人物を重用すると決めるなら、きっといろんな手続きは後付けであり、評価するったら評価するんだもん、の世界だと私は思う。

むしろ、ジョブ型なんて言わずに、職務の詳細化と成果主義の徹底、と言いなおしたほうがよっぽどわかりやすいと私は思う。