orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

金で全てを解決する生き方 VS 全てに礼を尽くす生き方

 

自分の身の回りの人を値踏みする。この人は自分にとって得をする人だ。この人は、とるに足らない人だ。そうやってランク付けをした挙句、対応に差を付ける人がいる。

私自身も、そんなことをしていた記憶がある。たくさんの人との出会いと別れの中で、相手によって損得勘定で対応することが当たり前、と思う時代もあった。

さて、今の自分自身の価値観から考えると、完全にこの考え方が間違いだったことに気がついている。

どんな相手に対しても、精一杯誠実に応答する。どんなにネガティブな感情を感じても、それは表に出さず、冷静にきれいな言葉で対応する。媚びへつらうことではない。自分が思っていることを失礼のないように、礼儀を持って対応すること。言うべきことは言うが、丁寧さを忘れない。傷つけない言い方は努力すればある程度はできる。

どうしてそんな考え方が一番強い、と思ったか。

・誰が自分にとって価値があるかなんて絶対にわからないから、間違える。
・人によって対応に差を付けていることを他人に観察され、失望される。
・損得勘定で付き合われている、と誤解され、利用するかされないかの関係になる。

こうやってまとめてみると、本当に自分は損をしていたな、と思う。

どんな人にも等しく礼儀を持って付き合うと、これがひっくり返る。

・はじめは得にならないと思っていた関係が、想定していないきっかけで、貴重な機会を得るきっかけになる。
・誰にでも誠実に対応できる人、に対して他人は興味を持ち、惹かれる。
・損得勘定に関係なく、誠意を尽くしてくれる人に、「得」を持って行きたくなる。結果として大きな得になる。

そんな対応だと、騙されたり、徒労になったり、付き合いたくもない人に時間を取られるのでは・・と思うかもしれない。多少はそういうときもなくもないが、面白いことに、こういう礼を尽くす生き方をしている人に、悪意のある人は近づきにくいのだ。

悪意のある人は、損得勘定で動く人のほうが扱いやすいのである。言わば「金で解決する」ことを「てこ」にして、言葉巧みに操ろうとする魂胆が見え見えだからだ。そして、相手からなんとかお金や労働力を引き出そうとするのが目的で、中長期の関係を欲しがらないので、関係が続かない。噛み合わない。

結果的に、真の味方を惹きつけると同時に、「あの人は素晴らしいよ」という評判が伝播することで、ブランド価値を持てるようになる。宣伝しなくても、自分から近づかなくても色んな人と絡めるようになる。

現在、世の中には大きな2つの考え方がある。「金で全てを解決する生き方」「全てに礼を尽くす生き方」。前者の考え方で動き、大きなことを一時的に為し得た人も確かにいると思うが、お金が入らなくなった途端に関係性が継続しないという状況も見て取れる。金の切れ目は縁の切れ目、を体現している。一方、後者は関係性が切れない。どんな状況の変化があってもみんなが気にかけてくれる。お金はあくまでも信頼の見える化であり、信頼を資産と考える生き方である。

どちらがいいか。ある時期に、湧いたお金を浴びた人がたまに現れる。あれ、そっちのほうがいいのか?と世間が迷った時期も確かにあった。スター性もあった。ただ私が見た現実の世界においてはどうか。後者のほうが圧倒的に努力をしやすい。そしてデメリットが何もなかった。メリットばかりだった。

圧倒的に、後者の生き方(「全てに礼を尽くす生き方」)を支持する。

もはや、関わる人は全て誠実に対応しようと思っている。何があっても。どうにも、この悟りのようなものは、崩れる気配がない。誰もがそうすればいいのに、と思う。