orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

人間の成長に関して勘違いしてはいけないこと

 

40代後半、もうすぐ50歳という環境で、お、自分って結構成長したかも、と思うことは実際ある。あるが、ちょっと待ってよ、これって本当に成長しているのか?と疑問に思う事もある。もしかしたら、何かの錯覚でそう思い込んでいるだけかもしれない。

勘違いが起こるための最も危険な因子だと思うのが、年下が増えることだ。年上の方達は私が若手な頃随分、自分たちを抑えつけてきたもんだと思うが、時間の経過とともに次々と引退していく。第一線を引いていく。それは仕方がないこと。ふと周りを見ると自然と年上の姿より年下ばかりとなる。

そうなると、自分を抑えつける人数が少なくなる。虚勢を張らなくとも誰も攻撃してはこない。楽になる。ある程度自分の思うとおりに物事を動かしたり発言できたりしやすくなる。

だから、年々やりやすくなるなと思う一方で、小うるさい人もいなくなる。注意される機会が減るので、何となく自分が、成長して上手になったと錯覚するのではないか。誰も指摘しないことで成功確度が上がった、と思いがちだが、もしかしたら自分自身はさほど変わらず、単なる錯覚が起きているのではないのか。

世間の若手やその集まりを見ていると、かなり虚勢を張って、強気でいないとなめられる、という雰囲気を強く感じるのだが、彼らからすると上の世代(しかも人数が多い)ばかりなので、軽んじられたくない、と思っていることの裏返しのかもしれない。そういえば私の若い頃も、かなりの人が虚勢を張ってたものだっけ。単に世代が変わったのかもしれない。

実は大した成長もしておらず、単にうるさい目上がいなくなっただけ。せいせいして自由にやっていることを誤解したまま「成長」と呼ぶとしたら、耳の痛い話かもしれないな、これは。

世の中の「老害」という表現も、今回のロジックが絡んでいて、加齢によって抑えてきた世代がいなくなったためにコントロールがきかなくなった、単に我が強い人、という表現も正しいのかもしれない。

昔から言われているかもしれないけど、こういう言葉がある。年を取れば取るほど、謙虚さが重要になる。これは、本当に重要で重要だと強く思う。今、強く信じていることですら、真実ではなく錯覚かもしれない。そして昔でも今でも未来でも、誰かに押し付ける意見などはない。自分が思っていることと、他人を思った風にしたいことは、全く別のことと区別できないといけない。いつまでも学び続ける姿勢を持ち、アップデートし続けること。

そのためにも謙虚さが重要だ。

ここまで結論が明確に出ると、すっきりもする。謙虚であればいいんでしょ、ということだが案外難しくない。この重要ささえわかれば、誰でもできると思う。謙虚さを磨いていくことが、実質的に成長につながるのだから、実は効率のいい話だなと感じる。