orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

集団を統べる技術は、令和後に大きく変化した

 

リーダーなりマネージャーなり、何しろ集団を統括するような立場になる機会は、大なり小なりあるのだろう。会社だけではなく、家族でも親と子の関係はその範疇になる。そういう立場のときに、自分はどうすればいいか。イメージがついている人がどれくらいいるのだろうか。

新入社員で会社に入り、たまたま人より仕事ができたとする。そうすれば自ずとその立場になる。間違いない。しかし、その人はワークフローの中で動くことは秀でたとしても、集団を統べるとなると特段訓練を受けたわけでもなく、見よう見まね、想像だけで人を動かしていくことになる。そのときに、思い違いや失敗などが多く発生する。

この話題は、きっと太古の昔からあっただろう。原始時代のころから人は群れていたに違いない。自然とリーダーやマネージャーが生まれた。歴史に名を残す人もいる。きっと、学びがあって、昔の史実を再現したドラマは繰り返し作られているのだろう。

いかに人を統べるかについて、様々な本があり、どれを取り入れていいかわからなくなるぐらいだと思う。決定版があるのなら、きっとそれに集約されているはずだが、今もってない。それは、社会の常識が目まぐるしく変わるために、人を統べる方法論も大きく変わらざるを得ないと言うことだと思う。きっと、昭和のリーダーのような人を令和に、係長レベルでアサインしたら、絶対うまくいかない。パワハラやセクハラ、長時間労働の温床となるに違いない。過去は現在に大きく否定されている。現在すら未来に否定されかねない。だからこの話題は難しいのだ。どの時代も上司と部下の関係だが、部下の中身は大きく変わっている、ということだ。

現在の世の中を鑑み、一つ言えることは、部下の目を見てこうしなさい、いわゆるコマンドを打つタイプ、命令のようなメソッドは、全く効果的ではない、ということだ。

変な話、私の子供のころはこのコマンドの乱発が唯一無二の指導方法だった。こうしろ、ああしろ、逆らうヤツはビンタ、竹刀で叩く、腕立て伏せ100回、グラウンド50周。これら化石のような指導法の世界観が今も日本のどこかに残っている噂だが、これは逆効果しかない。

今、最もスタンダードなのは、「こうすることが**一般的に**いいよ」と、集団全体に向かって優しく話しかけることだ。察しのいい部下はあのことを言っているんだな、とわかる。若い世代は、この察しの良さが過敏なくらいにある。SNS配下で空気を読み合って生きて来た彼らには必須のスキルになっている。それを利用しない手はない。個々に対して直接攻撃的な言葉を投げるのは、親しくもないのにDMでいきなり話しかけるくらいデリカシーのないことだと思う。

個人に対して投げかけず、集団に対して問題提起と、改善策を伝える。それを受け取った部下が主体的に改善し上司のよりよい世界へ近づけていく。

そして上司はもう一つやるべきことがある。上司の理想に近づけた行動をした部下には、積極的に「良い」を伝えることだ。これはSNSで言う「いいね」だ。上司と部下の直接の関係が「いいね」を媒体にすると、部下は上司へ何らかの報告するときに抵抗感がなくなるので一石二鳥となる。

またそれに加えて。集団の外に向かって個人の良かったことを報告する。これは「リツイート」だ。部下の知らないところで、上司が部下をバズらせてあげる。部下はなぜだかわからないが組織の外で知名度を上げることになる。そうすると、会社の居心地が良くなる。部下の「できる人」のような立場を形成させるのも上司の仕事である。

過去は生ぬるいとされてきたこういった方法論。今はむしろ、大いに展開する人が勝利する時代に様変わりしてしまった。出来ない人はどんどん置かれていっている。

このようにいよいよ世界は、平成以前の社会通念を切り離しつつある。止められないのなら、順応していくに限る。