orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

同調圧力に負けない、自立したアイデンティティーを確立する仕組み

 

これだけインターネットが発達し、人々の思いのようなものが共有されるようになったからこその感想だが、人々の価値観の違いというものはどうしようもない差がある。埋められないほどの距離がある。ただし差があること自体は問題ではない。それぞれの人生がありそれぞれの環境があり、見たこと聞いたことが全然違うのだから、違う解釈があって当然だ。そして何を思うかは自由とされている。安直に行動に変えず、生きる人々に迷惑をかけなければいいだけである。そうやって、考え方が違う人々同士が今日も生きている。

ただ、インターネット以前は、人それぞれが違っているということを把握すること自体が技術的に難しかった。違うことを証明しにくいからこそ、いや、日本人は均一性が高いから、実は皆同じだよね、ね!、ね!、という同調圧力が非常に強いお国柄だった。

でも、やっぱり違うよね、と。インターネットのおかげで、皆がそれぞれ違う思想の持ち主なんだということを多くの人々が理解するに至った。そのため、違うことを前提として行動しても、昔ほど同調圧力にさらされることが少なくなったように感じる。異なるポジションの人を認めあう認識の醸成が進んだ。これはとてもいいことだ。昔より息がしやすくなった。少なくとも私は。

一方で、このインターネットにちゃんとつながれない人たちが一定数、いや、かなりの人数がいるということが私にも認識できてきた。そういった人たちの特徴としては、以下が挙げられる。

・自分の周りの価値観を社会全体の価値観であると未だに勘違いしている
・自分と違う人の価値観を認めない態度をあからさまに取る
・本や講演に異様に影響を受け、その著者・話し手の価値観に染まろうとする

多種多様であることを認識できないことの裏返しである。何か心に響く素材があると、自分の価値観を全否定してしまうような危なさがある。種類がたくさんあるということは、両立するということなのに、まるで何か一つに集約するべきだと言うスタンスをとりがちとなる。時に急進的とも言える発言や行動を取りたがる。

多種多様を認めるということは、自分のユニークさも認めるということになる。認めないということは、どこか強力かつ安定的な価値観に染まらなければいけない、ということになる。

結局の所、多種多様な意見に触れながら、それらに自分が染まることもなく、自分のアイデンティティーを確立しなさい、ということがインターネットを前提とした人間のモダンな姿だと私は主張したい。「たくさん本を読みなさい」が昔の人の口癖だったけど、これは本でそれを実現しようとしたんだと思う。ただ、本って読むのに時間がかかりすぎるし、本を書ける人は人数が限られている。しかも、本はお金がかかる。お金持ちだけが得をする絵は良くない。また、「本を書くのを許す人」の思想が色濃く反映される。だから、私はこのインターネットという現象が大好きで、これを前提とした社会のあり方も、私が望むところである。

なお、自分のアイデンティティーを確立することに危機感がある人は、今周りにいる人「以外」の人と、インターネットを通じてゆるく会話してみてもいいと思う。薄く広く雑談することは、自分の凝り固まった価値観をほぐしてくれる。人生の秘訣、みたいな話をする必要はさらさらない。なんでもない日常の中に、大きな価値観の差は潜んでいるのだから。