orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

「人と同じすることがイヤ」を大事にしよう

 

私の特性の一つが、「人と同じすることがイヤ」ということ。

ぞろぞろと大衆が同じ方向に歩いている場合に、違う方向の怪しい道にわざわざ入ろうとする。道がない場合でも流れと違うスピードで歩いてみて、わざと取り残されたり、もしくはすごく先の方に早足で進んで、とにかく「ポツン」となろうとする。

こういうタイプの人って、「マイノリティー」「孤立」「孤独」みたいな概念が一緒に付いてくるので、人生って生きにくいなと感じることも多いのではないだろうか。

その生きにくさを50年弱、おそらく三つ子の魂的なものなのでずっと感じ続けていた私だが、この感覚は決して、弱点ではない。

人と違うようにあろう、というのは特に学生時代は足かせだった。だって、同じクラスに1年間以上縛り付けて、同じ制服を着せて、同じ授業を受けさせられる。団体行動必須で、そこで主流であるかどうかが争われる世界。集団から外れようなら、あいつは「普通」じゃない。つまり「異常」だというきつい世界だった思いがある。そもそも「普通科」が高校においてはトップという、言葉通りのおかしい世界だった。

社会人になってから、何やら世の中の雰囲気は変わっていった。普通じゃないことに価値を求めるようになっていった。私が社会人になったのが1997年だったけれど、多分にそこからの社会の変化は著しい。そういう意味では良い時代を生きたのかもしれない。

「人と同じすることがイヤ」というのは、私にとっては幼少期から長いことコンプレックスだった。人と同じようにしようと努力を続けたものの、空を飛ぶくらい無理なことに挑戦していた。無理なものは無理なのにストイックに合わせようとして、結構つらい気持ちも感じた。そうだな、40代に入ってからだから2015年前後くらいからか。これはもう、無理なことに挑戦するのはやめようというタイミングがあった。好きなようにやってみようという機会が偶然与えられ、それに従ったところ、意外や意外、別に何の支障もないことに気がついた。人と違ってもいいらしい。

同じじゃなくていいというのは、違わないといけないということじゃない。

これが大事で、自分で選んだ結果人と同じだって構いはしない。問題は、自分で選び続けること。そうすれば大多数の人とずれる瞬間は生まれるが、それでも気にしない。とにかく自分の考えたことを根拠にして、自分が多数か少数かを気にしない。自分の思う方向をまっすぐ歩いていくことがポイントとなる。

それでも、随分他人と自分は違うなということが多いのだけど、それこそが「人と同じすることがイヤ」の源流だと思う。他人と自分の感覚が違う過ぎるので、素で、随分と行動が違ってしまうのだ。それをきっとコンプレックスに思っていたに違いない。

そうやって開き直ってもうすぐ10年を迎えそうだけど、もはや周りの人も「あいつはそういうヤツだ」とわかってくれているので、随分生きやすくなった。そう、この感覚を自分自身が除外するのは最も非合理的なことだ。まずは自分自身が受け入れること。自分の声を優先し、マイノリティーになっても納得すること。変な話、マイノリティーだと思っていたのに、なぜか賛同者が頻出し、自分がリーダーになっているみたいなことだって起こり得る、変な世の中なのである。

身の回りのリーダーを見たって、だいたいの人が変人である。変人、変わった人、因数分解していくと、結局はどこかで開き直りが必要となる。自分の人生なんだから、好き放題やってみればいいのである。