orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

雰囲気仕事ができる人になるなかれ

 

優秀な人にこそあるワナだと思うけれど。

いろんな雑務をスムーズにおぼえて、現場では仕事ができる人として印象付けられている人がいる。そして、どこの現場も仕事ができる人がいた方がいいというバイアスがある。あの現場は彼がいるから将来も安泰だな、ってやつ。

管理職から配下を評価したとき、直属の部下が仕事ができるに越したことはない。

だから、人は、実は過剰評価もされやすい。本当は、まだまだ勉強不足で実力が足りていないのに、仕事ができる人扱いされることはある。そして、いわゆる雑務はできるものだから、雰囲気として仕事ができる人となる。私はそういう人を「雰囲気仕事ができる人」と呼んでいる。

できる人だと思って、専門的なことを離すと、あれ、そんなことも知らないの?ってなることもある。

もし、ある人が中長期的に雰囲気を醸し出すことに成功すると、本当に社内評価も高くなり給料も上がって立場も上がる。だが、実力をその分つけていないと必ずどこかで困ることになる。仕事をする本来の専門的な部分において、誰かにお願いすることをしないと役割を廻せなくなる。ただ、ポジションだけは奪っているのでジャッジはしなければならず、今度は「雰囲気マネージャー」が誕生することとなる。

こういう雰囲気仕事ができる人、ほんとに勘弁だ。終いには「仕事はコミュニケーション能力があれば大丈夫」と言い出す。

事業が傾くときに原因となるのはこの層だ。判断を自分単独ではできないし間違う。そのため、スピード感も整合性も二流三流となり、頓挫する。

コミュニケーション能力があり、本来の業務知識に長ける、スーパーマン的な人がたいていこういう層をぶった切っていくのが社会の「あるある」である。

よく、どう職場に評価されるべきか、という悩みが話題になるがこのとおり逆のこともあるわけだ。評価され過ぎて実力がないとき。それはやはり実力をつけていくしかないが、雰囲気仕事ができる人は、勉強しなくても表面上は雰囲気できるっぽいので、自分が勉強をしないといけないことから逃げてしまうこともできるということだ。

経営に近い立場の人々は、事業の継続性が組織面から安定的かどうかを常に考えている。仕事ができる人が事業に対して十分に含まれているかどうか。そして、離職率は高くないか。将来コアになってくれそうな若手がいるか。その際仕事ができる人はある程度の人数を確保しなければいけないから、「もしそうではなくても」できる人にカウントされてしまうという現象が起きうる。

それは、評価された方から言えばラッキーなのかもしれないが、そこで自分の実力を測り、足りないものは裏で補うくらいの危機感がないと、どこかで馬脚を現す。そこで、「あっ、勉強しておけばよかった」と気づいても、業績は悪化しているし自分には実力はついてないしで、よくないことだらけなのである。

従って、重要なことは、自分の実力は常に客観的に捉えること。過剰評価されたらされたでそのまま受けておけばいい。その後、余計な器用さで乗り切ってしまわないこと。ギャップは誰も知らないところで、こっそり埋める。

決して、雰囲気仕事ができる人になるなかれ。