orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

転職したいと思う時の心理

 

今後、人口減時代を踏まえ、各企業が形を維持するためには、どうしても社員をどれだけ自社に留めておけるかが鍵となるのは間違いない。あの希望退職ブームはどう考えても年功序列・終身雇用時代の後始末だった。会社に長く在籍するだけでインセンティブが得られた制度の見直しとセットだった。これからは、責任や実力に従って給与が決まっていく傾向がどんどん強くなる。長くいたからって給与が高くなるわけじゃない。

長く在籍させても給与を上げなくていいのであれば、その人材すらも、転職しないで長く在籍してもらった方が会社にとっては都合がいい。穴埋めにもお金がかかるからだ。求人のためにまずお金がかかり、その後教育にもお金をかける。やっと働きだしたかと思ったらすぐ転職されては、お金の無駄、現場の負担である。

今後は、社員を転職させないことについて、各社知恵を絞る時代となる。それは間違いない。いくらでも人はいるから、どんどん雇って、辞めさせたい人はどうぞ、みたいな手法は通用しなくなる。

さて、転職したい、とはどういう心境のときに生まれてくるものだろうか。いくつか考えてみた。

 

***

 

暇なとき

最近の「成長ブーム」から考えると、暇だといろいろ考える。仕事が軽すぎるので、自分が成長しない。スキルが上がらない。スキルによって給与が決まっていくという今のトレンドを考えると、暇な現場に長いこといると、将来がとても不安だ。

「楽な仕事をして、それでお金をもらえるなんてありがたい」なんて考え方も昔はあったものだけど、今は廃れた感じがするね。

 

非効率なとき

とても忙しいときに、その忙しさの本質を見ると、根本に非効率があるケースは多い。毎週、あるドキュメントを完成させなきゃいけなくてそのために残業含めたくさんの時間をかけるけど、そのドキュメントを誰も読んでいない、みたいな。

無駄なことのために、なぜに自分の時間が浪費されるのか。お金をもらえるから文句言うなというのはあるけれど、無駄なことに自分が関わっていることは不快でしかない。

また、その非効率に対して、意見をすることができないような立場にいると、無力感にさいなまれ仕事が嫌になり、転職したくなるのも無理はない。

 

人間関係がうまくいっていないとき

自分と同僚の関係なのか。それとも部門全体の雰囲気か。何にしろ、集まりがあって話をするといつもギスギスしている。そこに自分が巻き込まれると仕事するのが嫌になる。能動的に前向きに仕事をしようとしても、理不尽な妨害を受けたり、非協力的な同僚や上司がいて、楽しくない。実績を上げても誰も褒めてくれやしない。

そう考えると、管理職は、「部門の雰囲気を良くする」という、曖昧で触れない抽象的な何かを保障し続けないといけない時点で、かなり難しいミッションを背負っていると言える。

「人間関係なんて子供じゃないんだから、ビジネスライクにうまくやってよ」なんて管理職がため息をついても、部下はそんなの関係なく、勝手に転職していくものだ。

 

劣っているとき

「そんないい会社に勤められて良かったね!」というような優良企業でも、一定の退職者は出る。そこに集っている人たちが優秀過ぎて、絶対に勝てないと分かった時。いつも評価では平均かそれより下をもらってしまう。どんなにがんばっても、彼らには勝てない。待遇はいいけれど。そんな状態が長く続くことを考えると、条件は下がってもいいから自分が優秀とされる場所に行きたい、という欲求はあると思う。

「鶏口牛後」という言葉がある。大きな集団の末端にいるよりは、小さくても重んじられる場所にいた方がいいという意味だ。

仕事は、人生のかなりの部分を占めるので、劣等感を長く感じる環境はつらいだろうね。

 

明らかに業績に貢献しているのに給料が上がらない時

過去実際に思ったことがあるけど、自分の仕事がとても評判で、顧客にも絶賛されているのに、会社自体の成績が悪く自分の評価もそれに引きずられて上がらなかったことがあった。

評価サイクルは1年なので、1年がんばってこれかよ・・と思ったことはあった。

転職してわかったけど、儲かっていない会社でいくらがんばっても、いい思いをするのは至難の業だな、と感じた。

人事評価の納得度というのは、転職防止とかなり関連していると思う。

 

***

 

私自身は転職経験は1度だけだが、とても貴重で有意義な体験だったと思う。今後「部下を転職させないための工夫」をたくさんの管理職が強く求められるようになる昨今、自分自身が転職をしたことがある、というのは大きい。

一人を採用するのと同じかそれ以上に、一人を転職させないのは大事だからね。