orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

数字はウソをつかないということ

 

売上や利益は、数字からできている。

私達は仕事という世界の中でいろんなことをするのだけど、結局はこの数字に落とし込まれる。どんなにいい仕事をしても悪い仕事をしても、この数字がすべてとなる。

ただし、今の数字だけが価値ではない。今の数字は悪いけれども、よく見ると将来に向けての投資がたくさん含まれていて、単純な収支だけ見ていては意味を見損なうこともある。一方で、良い数字のように見えるけれども、細かく見ていくと違和感を感じ、粉飾とは言わないが、将来ツケを払わされるようなトリックが含まれていることもある。

したがって、数字を読むにはテクニックが必要なのだが、テクニックさえ持っていればいいだけである。どうやったってウソはつけない。数字がいろいろ教えてくれる。この部署の管理者は、無理をしていい数字を作っていて将来のリスクに備えていないから、安心できない。とか、とてもリスクに敏感でいろいろと準備しているから今は数字が良くないけれど、それらの結果は3年後にわかるか、とか。

そういう目線で、他部署の数字を見る。どうしようもない部署もある。どうしようもない部署の今年度計画書を見ると、すごく前向きなことばかりが書いてあるのだが、年々すり減る数字と全然意味が合ってないじゃないか。合ってないけど会社は放置しているので、会社は放置するという戦略を取っているのだな、とわかる。どんなに前向きな美辞麗句を並べてもだ。数字は残酷に現在と未来を語っている。もっと言えば昔の数字の推移を見ればこの事業がどうなるかまで見通せる。何かチェンジがあればいいが、書いてあることは精神論しかない。

私はよく競馬場に行くのだが、これまで惨敗続きだった馬が急に走ることがある。そういうときは、だいたい、何かのチェンジがある。ずっと芝を走ってきたのがダートに変わったり、短距離から中長距離に変わったり、騎手が乗り代わったり、遠征したり。

過去の数字が悪かったとしても、未来に向けてチェンジがあればまだ変化の余地を残す。しかし、「強化する」「最適化する」「徹底する」みたいな言葉しか並んでいないとすれば、それはなぜ今までやってなかったんだい?となる。競馬で言えば、何もチェンジしていない場合は絶対に次も走らない。走ったとすれば何か変化があったのだ。

仮にチェンジを言わなかっただけで、実はチェンジしてました、という場合であれば、翌年以降の数字で結果はわかる。数字がチェンジしていれば実は何かが変わったんだとわかる。でも、数字が下降している部署は、やっぱり何も変えていないのである。それなら、今までどおりズルズルと、同じ仕組みで数字は加工していく。

ちなみに、ここまで読むと、なぜその部署はチェンジしないのか、という疑問が浮かぶに違いない。不調なら変えないと。変えない部門長は何を考えているのか。その答えも知っている。チェンジすることで余計数字が悪化するリスクのほうが大きいからだ。つまり会社はきっと、もう小さくしぼんでいくことは飲み込んでいて、おい、そのペースを余計なことをして崩すなと思っているに違いない。チェンジはいらない、この数字でいい。

・・ということを、数字が教えてくれるというのは、なんとも残酷だなと思う。それぐらい数字というのは、表に出てくる言葉よりも明確におしゃべりするので、その読み方については機会があればぜひ学んだほうがいい。人の言うことなんて信じられないけど、数字の言うことは信じるしかないから。もし数字のことも知らず会社の仕事をやっているのなら、実態を知らずにのほほんと仕事をしていることになるから。それは会社員にとって、リスクでしかない。