orangeitems’s diary

クラウド専任の40代インフラエンジニアが書くブログ。新規事業マネージャー。20世紀末の就職氷河期スタート時にIT業界に文系未経験で入りこみそのまま生き残った人。

アウトプットするときに苦しくなる現象のこと

 

最近、記事を作成する機会を増やしていて思うこと。

意見を書いたり、ツイートしたり、人の意見にコメントしたり、いいねを付けたり。こういったアウトプット(自分の中から外に何かを打ち出すこと)に対して、ある種の苦しさをおぼえるときがある。

この苦しさによって、書けなくなる、何もできなくなるみたいな感覚を少し感じることがある。別に昨日今日始まった話じゃないが、特にアウトプットを増やすとそう感じる。

この苦しさの正体はなんだろう、と思ったら、どうにも「自分がアウトプットするならこれぐらいの品質にないといけないよね」というハードルを、自分自身に課している気がしている。

単に、「いいね」するだけでも、このいいねによって誰かが得をしたり、なぜいいねしたのかを後で問われたり、いろいろ思ってもないことが起きるから、慎重にやったほうがいいんじゃないか、とか。

記事が短すぎるし、結論が散漫なので、これは書かないほうがいいかな、とか。

社会の関心がなさそうだから、心に留めておこう、とか。

最近、書いても反応が薄いのでしばらくやめるか、とか。

これは賛否両論な話で、もしかしたら反論も強いかもしれないから、書けないかな、とか。

いろいろ、自分自身がアウトプットを止めるハードルになっているんじゃないかと言う感覚を感じている。でも、この止めに来る人、架空の人であって、何か思い込みのようなものを感じる。

また、フィードバックをモチベーションにアウトプットをしていると、フィードバックが来なくなった時に延々と待ってしまい、苦しくなる現象もある。ブログのデザインを変えたり、別の活動を始めたりして気を引こうと思いがちなんだけど、最近思ったのは、いや、それこそフィードバックを気にせず、アウトプットの「量」を増やした方が効果的だなということ。

世間の関心は、めちゃくちゃ移り気で飽きっぽくて、つかんだと思ったらさらさらとこぼれていく砂のよう。

そこに、統計を持ち込んで傾向分析をして、合わせてアウトプットしようとすると、これは苦しみの入り口となる、いやなった。

もう、あんまり気にせず、そしてハードルも設けず、自己評価もせず、ただただアウトプットしたほうがいいんじゃないか。評価は世間が決めるし、自分自身がハードルになることもない、って。

なんでこんな記事がよく読まれるんだ・・となったり、逆に、いいこと書いたのにな、と落胆することもあるが、そのプロセス自体もなんだか、さっさと省略して次のアウトプットを始めたほうがいい気がしている。

あと、他人のアウトプットへのフィードバックも、あんまり考えずどんどんやればいいのかも、って。いいね、いいね、いいねに次ぐいいね。別に減るものでもなし、それならばということで。いいねってもらった方はうれしいからね。率先してやってみよう。

ちと壮大な実験だけど、心のハードルを無くして、アウトプットをただただ増やす試み。リスクもあるけれど。アウトプットするときに、躊躇する傾向のある人は考えてみてほしい。ストップをかけているのは実力じゃなく、自分の心のハードルなのかもしれない。