orangeitems’s diary

クラウド専任の40代インフラエンジニアが書くブログ。新規事業マネージャー。20世紀末の就職氷河期スタート時にIT業界に文系未経験で入りこみそのまま生き残った人。

負けないで 何に?

 

「負けないで」と言えばZARDの名曲と思い浮かぶのは年齢がバレる(バレてる)のだが、負けないというのは何に負けないのだろうか。

歌詞を読解する限り、夢に向かって努力していることのようだが、負けるとは何だろうか。努力をあきらめるということなのだろうか。

努力をあきらめたときに、何に負けたということになるのだろう。あきらめるということは、心が折れるということで、それが辛い気持ちに負けるという解釈でいいだろうか。

その前提で改めて定義が必要となるのが、夢、である。この夢というのは果たすべき結果ということになるのか。つまり、何か目標を立てて物事を始めたのに、その目標に向かうのを止めてしまうことを、負けると表現されるのだろう。

しかも歌詞においては、「あなたの夢をがんばることをあきらめないで」という文脈であり、歌っている主体は第三者的に「負けるな」と言っているだけである。

夢に向かって頑張っている人に、夢が叶うまでがんばれ、辛いことがあっても負けるな、ということを、親しい第三者が言っている、という解釈で落ち着いた。

変なことを言えば、他人のことなんだから、負けるなとか余計なお世話だとは思う。夢に向かってがんばってね、ならいいが、そこで辛いことがあったときにどう判断したって本人の自由なのではないか。止めることが合理的な場合もあるかもしれない。本人がこれからどう選択するかわからないことを、他人が「負けるな」とは押し付けがましい。

一方、他人に「負けないで」と言われないためにも、夢、なんぞはあまり公言しない方がいいんじゃないかという気もしている。夢というより目標のようなものは、むしろ設定すらしない方がいいんじゃないか。設定しようがしまいが、なりたいようになりたいわけだから、その方向には人は向かう。そして決めない強みとしては、臨機応変に変えられることだ。ふわっと方向性だけ決めておいて、具体性を徐々に高めていく。目の前の1つ1つの成功体験を重ねつつ、夢、というより、実現可能性が高いことを積み重ねていく。それを一定期間続けていくとどうしても、夢のようなものには近づいていくことはできる。

例えば、たくさんの収入が欲しいとして、現時点ではとても追いついていないとする。じゃあ、例えば5年後にこの所得水準まで欲しいとして、途中で無理だ、とがんばらなくなるのは「負ける」ことなんだろうか。

そんなことになるぐらいなら、そもそも5年後に欲しい所得水準なんて決めないことだ。それより、1円でも稼ぐ方向性を見つけ、できることから行動していく。その試行錯誤を、延々と続けることで目標はともかく上昇はするのではないか。それを、地道に続けていけた人が最終的には向上しやすいし、負けにくい、のではなかろうか。

おそらく、心が折れやすい人は、目標を立てる人なんじゃないか。目標など決めない。より良くなることを心がける。毎日できることをやる。無理なことはがんばらない。できることは最大限やる。それで進んだことは認識する。勝つための努力ではなく、生活の一部と思う。毎日、何かを行い、何か進める。勝ち負けではなく、勝つと思えるまでやり続ける。

世の中を観察していると、何かの原因で、道を進むのを止めてしまう人が多くいる。やっぱりもったいないと思う。目標や期限は決めず、地道に前に進み続けている人が、最後に残っていて、結果的に勝者になっているというケースを多く見ている。

負けないで、と言われるようながんばりは、止めた方がいい。