orangeitems’s diary

クラウド専任の40代インフラエンジニアが書くブログ。新規事業マネージャー。20世紀末の就職氷河期スタート時にIT業界に文系未経験で入りこみそのまま生き残った人。

人に期待をせず自分に期待をしよう

 

ちょっとがっかりしたことがあって、がんばってると思った同僚が会議で居眠りをしている姿を見てしまった。人前でそのような姿を見せるのは非常に損をすると思う。どんな事情があるかはわからないけど。仕事に対する緊張感やプロ意識みたいなものが、その一件だけで判断されしまう。

さて、そうなったときの「私」の対応だが、何もしないことにした。人間の性質としてはすぐに注意したくなるし、したほうが彼のためにもなるし、スッキリすると思う。そうなのだけど、これまでのことを思い出すと自分に不利益が大きすぎる。それをきっかけに相手のモチベーションが大きく崩れ、そして退職したり、あの上司の指導はひどいなんて逆ギレしてくる人も見たことがある。

指導とは、良くなってほしいという期待があるからするものであり、この良くなってほしいというのが相手のためではなくて、単に自分の認知する世界にノイズが入るのが嫌なだけなんじゃないかという推察がある。

例えば、最近のKing & Princeが3人脱退するという話があって、その後SNSで白紙撤回の署名活動が始まったと聴いた。あれって、King & Prince本人たちは全く関係なく、「King & Princeという5人の存在がこれからも続いていく」という認知を急に崩されたから、不快感が強くて、署名活動なんていう無茶を始めてしまったのではないかと思っている。

人は、世界をある安定した形で認知している。それは主観的である。安定しているから、心も安定する。しかし世界は大きく変化する。自分の認知とは大きく変わる形で世界が変わることがある。世界が変わったときには適応していかないといけないが、自分の力が及ぶのならばそれを阻止しようとするのも人間である。だから既存の枠組みを変えようとすると必ず、抵抗する勢力が発生するのが基本だ。

一度話を戻すと、居眠りする部下が心配なのではなく、自分の会議で居眠りをする部下がいるという認知が受け入れられないということだ。だから、注意をするのである。

逆に言えば、部下に期待をしなければ、居眠りも受け入れられる。そういう人だという情報を自分の認知において書き換えればいいだけである。その上で、部下の仕事なり処遇なりを決めてやればいいのであり、部下自身の変化に責任を持つ必要はない。

何か冷たいことを書いているなとも感じつつ、一方でこれまでいろんな人に裏切られ続けた。他人に期待しているからこうなってほしい、みたいな動機には大きなリスクがあることもわかった。他人は他人なので、自分の認知の一部では、ないのである。

一方で、自分自身はどうか。自分に期待することはいくらでもしていいと思う。期待できない結果をもたらした自分には反省をさせ、改善を促すことはいくらでもしていい。期待を持つなら自分にしよう。自分だけは行動を変えられる。不都合な認知があれば変えればいい。

あまりにも、不条理な周りには期待をせず、そして自分を期待しよう。自分を高めよう。もうそれしかない。他人に関わるのはよそう。そっとしておこう。