雑用、って言葉を仕事で使ったことがない。
おそらく使い手は、「めんどくさい」「本流ではない」「事務的である」のようなイメージを混ぜてそう言ってるのかなと想像する。
ただ、ビジネス全体を見ているマネージャーの立場から考えるなら、何かのビジネスの一部を「雑用」なんて表現をされると、わかってないなあと思う。
全体の中の一部を切り取って、それを雑用なんて言い方をしたら、永遠にそのプロセスは良くならない。もともと誰かの思い付きで始まったことでその誰かもいないかもしれない。もしくはとても大事なことなのに軽んじて作業してしまうことで、思いがけない品質の低下を生むかもしれない。
雑用なんてない。どの仕事にも意味があるか、意味がないかである。意味がないことがある。意味がないようで、あることもある。だからこそビジネスの改善は難しいことなのだ。全体を把握しその中でそれぞれの仕事がどうはまりこんでいるかを熟知しなければいけない。一つのピースを外すと全部が崩れるようなことだってある。
雑用を任せられているという認識は、働く人のモチベーションを下げる。雑用ではなくビジネス上必要な仕事としてまず受け取り、どんな役割を担っているのか。そしてそれを失くしたらどんな大変なことが起こるか。もしくは改善することができるか。全体が良くなるのかもしくは悪くなるのか。
上司から命じられたのでやる。前から引き継がれているのでやる。そうやって野放しになっている無駄な仕事は世の中にたくさんある。どうしてこれをやらなければいけないんですか?と言う問いかけ自体は悪いことではない。目的を理解した上で、もっといい方法があるという目線で改善策を提案してくれたらマネージャはうれしい。ただその改善の目的が「手数を減らす」「作業時間を短くする」だけでは面白くない。ビジネス全体のやり方を含めてその作業が持つ目的を残したまま、作業自体をなくしてしまうとか、別の作業と統合する、なんて考え方の方が高度だ。
それを、一番良くないのが、単純に自動化ツールだけを持ってきてしまうこと。無駄なことを自動化して見え無くしてしまうのは、無駄の削減にはならない。無駄を素早くやってどうする、と。この無駄の自動化による仕事の隠ぺいは、いずれビジネス全体を変化させていかなければいけないときに、かえって面倒になる。プロセス全体が複雑になるからだ。そして大事なプロセスが何かも分かりにくくさせる。
したがって・・、もしあなたが所属するチームが「雑用をやるのが目的」と感じるのなら、長居する場所ではないと進言したい。仕事の目的を知らされていない。目的意識がないので、早く正確にやることが目的になってしまう。そのうち仕事のための仕事になってしまい、自分で仕事を作ったり仕事を消したりという動機を持たないまま過ごしてしまう。
まずは、雑用ということばを頭の中から消すこと。ビジネス全体を想像し何のために取り組むのかを知る。いろんなパターンでの解法があることを前提に、別の方法での対応も視野に入れてみる。
なんとなくこのレベルに行けずに、単にデジタルで自動化するのがDXとなっている現状なのではないか、と思っている。実はデジタルは関係のない話なのである。仕事のやり方、当たり前を排し最善を常に追求せよ、ということだ。