orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

「いい仕事」の思い出

 

何度か「いい仕事」をしたなという思い出がある。

今では元請側となり現場を変わらない立場となったが、過去は定期的に現場が変わっていた。転職経験は1度と少ないが、他社常駐が基本だったので、いくつかの現場を経験できたのはよい財産となっている。もう、変わりたくはないけど。

投入される現場は、たいてい問題を抱えている。新しい人が欲しいということは解決したいことがあることの裏返しだ。平均稼働時間が高いのは基本で、大抵の人は、仕事の量が多いということで理解しようとする。ただ、つぶさに仕事の内容を見ていくと、無駄な仕事の連続というのはよくある話だ。

無駄な仕事は何から構成されるか。その仕事が何の役に立っているかを、メンバーが少しも理解していないというのはある。このグラフは誰が見てるんですかと。いや誰も見てませんが出せと言われたので出してます。出せと言ったのは誰ですか。じゃあその人に、このグラフの目的を聴いてきます。そして話を聴いてみたら知りたいことがわかったので、じゃあこんなアウトプットをまとめたら、手短になりませんか?。いいねえ、じゃあそうしよう。このコミュニケーションで、随分と仕事は減る。

はっきり言って全部の仕事に言えることだが、仕事の目的はよくよく確認したほうがいい。そしてその目的に沿ったアウトプットになっているかどうか。このアウトプットの中に不必要な情報が含まれているのではないか。アウトプットの出し方に無駄な作業が挟まっていないか。この当たりを発注者とすりあわせでき、かつ現場のメンバーの工数が減るような動き。コミュニケーション不足から来る無駄の体積で、全員が忙しくなり、それでまたコミュニケーションが減るという悪循環が支配する現場を複数見てきた。

発注者は、部長だったり課長だったり、はたまた顧客だったりと「偉い」人が多いので、メンバーも恐縮してしまうのだろうか。それとも、請負や派遣なので、他社のやることなど知らんがな、なんだろうか。決まったことだけやります、言われたことだけやりますの末には、仕事のための仕事があふれることになる。

私は、こういった無価値な仕事をやらされるのが心底苦手で生理的にダメなので、誰が相手でも特攻していた。発注側から考えれば目的さえ達成できれば良いのである。しかも、手数がかからないで素早く結果が出て、それが正確なら断る理由などない。だから、非効率とコミュニケーション不足は、だいたいがセットになっている。

まずはこういった現場入ったあとは、1ヶ月から3ヶ月くらいは、黙って現場の仕事を次々とおぼえる。そうしたら、わかってくる。無駄な仕事が整理できてくる。でもいきなり改善を試みない。Aという仕事が無駄だと思っても、BやCという仕事につながっている場合があるので、Aだけ修正すると矛盾が起きるかもしれないからだ。とにかく全体を把握する。そうしたら、現場へも偉い人へも自分への信頼が得られる。

動き出すのはここからだ。この仕事、もっとこうしたほうがいいかもですね。お、どういうこと?。このアプローチを次々と始める。だいたいがこんがらがっているので、同時進行でやらないと破綻しかねない。このフェーズが、個人的には一番楽しい。自分がやりやすいように現場を変えていく手術は、結果として成功すると、全幅の信頼を得られる。

まあ、これをやりすぎたせいで、現場のメンバーが相当暇になり人数を減らされたみたいなこともあったけど、そんなの私はどうでもいいやと思って、いくつかの現場を整理したのは良い思い出でもある。

そんなに技術的に高度なことをしたという実感もなく、本当にコミュニケーションロスって怖いよなと思う次第。仕事が生まれるときに、適当にその場しのぎした方法が、なんだか憲法みたいになって長い時間引き継がれてそのままやられていた、という例が多い。これをバッサバッサと切り捨てていくのが楽しい。

今は、それを全部やってしまっても自分が退場しなくてもいいように、元請側にいるというシナリオである。本来、このようなコミュニケーションによる業務整理で改善できる部分がたくさんある時点で、レベルが低いのである。全部やりきった後に、そこからどうイノベーションを展開するかみたいなところをやっていきたいと思っている。勝っている会社は、そうなっているんじゃないかな、なんて思う。